第170回国会 外交防衛委員会 第4号
平成二十年十一月五日(水曜日)
   午後一時一分開会
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  出席者は左のとおり。
    委員長         北澤 俊美君
    理 事
                浅尾慶一郎君
                犬塚 直史君
                藤田 幸久君
                浅野 勝人君
                木村  仁君
    委 員
                喜納 昌吉君
                佐藤 公治君
                徳永 久志君
                白  眞勲君
                牧山ひろえ君
                柳田  稔君
                岸  信夫君
                小池 正勝君
                佐藤 正久君
                橋本 聖子君
                山本 一太君
                浜田 昌良君
                山本 博司君
                井上 哲士君
                山内 徳信君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        堀田 光明君
   参考人
       ペシャワール会
       現地代表     中村  哲君
       独立行政法人国
       際協力機構広報
       室長       力石 寿郎君
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  本日の会議に付した案件
○テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の
 実施に関する特別措置法の一部を改正する法律
 案(内閣提出、衆議院送付)
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○委員長(北澤俊美君) ただいまから外交防衛委員会を開会をいたします。
 テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、参考人として、ペシャワール会現地代表中村哲君及び独立行政法人国際協力機構広報室長力石寿郎君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に対し、本委員会を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、大変御多用の中にもかかわりませず本委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。特に中村参考人は、遠路、長時間を掛けての御出席を御快諾をいただきまして、誠にありがとうございました。
 皆様から忌憚のない御意見を拝聴して、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じておりますので、本日はよろしくお願いをいたします。
 議事の進め方について申し上げます。
 まず、中村参考人、力石参考人の順にお一人二十分程度で順次御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 御発言の際は、その都度、挙手の上、委員長の許可を得ることになっておりますので、御承知おきをいただきたいと思います。
 また、参考人、質疑者とも発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず中村参考人にお願いをいたします。中村参考人。
○参考人(中村哲君) 中村です。
 ペシャワール会現地代表として発言を許していただきたいと思います。
 私は、実はおとといまでジャララバード北部にあります干ばつ地帯の作業現場で土木作業をやっておりました。なぜそうなのか。今日の議題と一見関係ないようですけれども、実はアフガニスタンを襲っているのは、最も脅威なのは大干ばつでありまして、今年の冬、生きて冬を越せる人がどれぐらいいるのか。恐らく数十万人は生きて冬を越せないだろうという状況の中で、私たちは、一人でも二人でも命を救おうということで力を尽くしております。そのために用水路の建設、これは冬が勝負のしどころでありまして、何とか完成しようということで力を尽くしておるわけであります。
 繰り返しますけれども、アフガニスタンにとって現在最も脅威なのは、みんなが食べていけないということであります。
 イギリスの著名な団体の発表によりますと、恐らく五百万人の人々がまともに食べられない、飢餓状態にあるというのがアフガニスタンの現実でありまして、このみんなが食べていけない状態、そのためにみんな仕方なく悪いことに手を出す、あるいは傭兵となって軍隊に参加するという悪循環が生まれておりまして、今日審議される事柄と決して無縁どころか、一つの大きな要因を成しておるのではないかというのが私たちの認識であります。
 例えば、穀物の自給率は半分以下、小麦の価格はこの一年で三倍から四倍に高騰しておりまして、普通の人々はもう生きていけない。私たちの職場でも職員百五十名の給与を過去五回にわたって上げましたけれども、それでも食えない状態と。一般の人々にとっては戦争どころではないというのが思いであろうかというふうに私たちは考えております。
 衣食足って礼節を知るといいますけれども、まずみんなが食えることが大切だということで、私たちはこのことを、水それから食物の自給こそアフガニスタンの生命を握る問題だということで、過去、ペシャワール会は干ばつ対策に全力取り組んできました。私たちは医療団体ではありますけれども、医療をしていてこれは非常にむなしい。水と清潔な飲料水と十分な食べ物さえあれば恐らく八割、九割の人は命を落とさずに済んだという苦い体験から、医療団体でありながら干ばつ対策に取り組んでおります。
 その結果、現在、ジャララバード北部、具体的にはニングラハル州北部全域に展開いたしまして、五年前から用水路の建設に着手いたしまして、現在二十キロメートルを完成しつつあります。その結果、それまで荒廃していた砂漠化地帯で十数万人の人々が帰ってきて生活できるようになる。更にこれが二十数キロ完成いたしますと約五千ヘクタールから六千ヘクタールの新たな開墾地が生まれまして、二十万人、三十万人以上の食料自給が可能になるということで、地域住民と一体になって仕事を進めておるところであります。
 それだけではなくて、こういった人海戦術を使った、現在五百名以上の作業員が私たちと仕事をしておりますけれども、当然雇用が発生する。それを聞き付けて、パキスタンに逃れておった干ばつ避難民が戻ってくる、あるいは国内避難民が戻ってくるということで、仕事をしている間は日当で何とか食い、それから水が来れば、これは自分たちの土地ですから、自給自足の国なんですね、アフガニスタンは八割以上が農民の国でありまして、彼らは水さえあれば、所得こそ少ないですけれども、農産物さえあれば決して貧しい国ではない。彼らの要求というのはそう高くない。家族がまず一緒にふるさとにおれて十分な食べ物があること、それ以上の望みを持つ人は私は少ないと思います。
 そういうことでありまして、私たちは、まずは水、それも清潔な飲料水。これは、具体的には千五百本の井戸を私たちは掘ってきましたけれども、この事業も継続されております。さらに、農業生産力、農業自給率を高めるということに力を尽くしております。
 さらに、今アフガニスタンの問題がいろいろ言われておりますけれども、この干ばつに加えまして、アフガニスタンをむしばんでおるのが暴力主義であります。これはアフガン人の暴力であることもありますし、外国軍による暴力のこともある。これがアフガンの治安の悪化の背景を成しておりまして、私どもはこれに対しても心を痛めておる次第であります。
 今、盛んに報道されておりますけれども、アフガニスタンは現在治安が悪くなる一方でありまして、しかもその治安悪化が隣接するパキスタンの北西辺境州まで巻き込んで膨大な数の人々が死んでおるということは皆さん御存じだと思います。
 先ほど冒頭に述べました干ばつとともに、いわゆる対テロ戦争という名前で行われる外国軍の空爆、これが治安悪化に非常な拍車を掛けておるということは、私は是非伝える義務があるかと思います。
 一口にいろんな反政府運動だとか武装組織だと言いますけれども、アフガン土着の反抗勢力を見渡してみますと、基本的にアフガンの伝統文化に根差した保守的な国粋主義運動の色彩が非常に濃い。切っても切っても血がにじむように出てくる。決してある特定の、旧タリバーン政権の指令一つで動いておるわけではない。いろんな諸党派が乱立しまして、それぞれに外国軍と抵抗している状態。それから、かつてなく欧米諸国に対する憎悪が民衆の間に拡大しているというのが、私たちは水路現場で一般の農民たちと接しておりまして感じる実感であるということは伝えておきたいと思います。
 もちろん、いろんな反抗勢力の中には、私たちの伊藤君、職員の一人であった伊藤君が犠牲になったように、とんでもない無頼漢もいますけれども、各地域でばらばらにそういった自発的な抵抗運動が行われておる。それだけ根が深いわけでありまして、恐らく二千万人のパシュトゥン民族農民を抹殺しない限り戦争は終わらないだろうというのが、これは私ではなくて、地元の人々、これは地元のカルザイ政権も含めた人々たちの意見でありまして、しかも、武装勢力といっても、アフガン農村について日本で知っている人は少ないと思われますけれども、兵農未分化、すなわち侍と百姓が未分化な社会でありまして、すべてのアフガンの農村は武装勢力と言えないことはない。その中で混乱状態が何を引き起こすかというのは御想像に任せたいと思います。
 しかも、アフガン農村では復讐というのは絶対のおきてであります。ちょうど赤穂浪士のようなものなんですね。私たちはニュースの上で、アメリカ兵が今年は何名殺された、カナダ兵が何名殺されたということはニュースになりますけれども、その背後には、一人の外国兵の死亡に対して、何でもない普通の人が死ぬアフガン人の犠牲というのはその百倍と考えていい。すなわち、外国人の戦死あるいは犠牲者の百倍の人々が、日々、自爆要員、いわゆるテロリストとして拡大再生産されていく状態にあるということは是非伝えるべきだと私は思います。
 アフガニスタンとパキスタンの国境地帯もこの悲劇が及んでおりまして、現在、抵抗勢力が何か危ないとパキスタン側に逃れるということで、パキスタン側、アフガニスタン側両側から挟み打ちのようにして軍事作戦が行われておるようでありますけれども、これがまた今度は、うそのような話で、パキスタン国境地帯からアフガン側に流れてくるパキスタン難民というのが発生する。こういった事情の中で、私が二十五年いる中では現在最もアフガニスタンは治安が悪くなっておる状態だと言うことができると思います。
 さらに、対日感情につきましても、これは少しずつ陰りが見えてきておるということは私は是非伝えておく必要があると。かつて広島、長崎というのは現地では有名でありまして、アフガン人の知識人のほとんどは、アフガニスタンの独立と日本の独立が同じ日だというふうに信じている人が多いくらい親日的なんですね。ところが、最近に至りまして、米国の軍事活動に協力しているということがだんだん知れ渡ってくるにつれて、私たちも身辺に危険を感じるようになりました。
 やはり、あの最も親しいと思っていた日本が同胞を殺すのかと思えばこれは面白くないわけでありまして、これは日々日本に対する感情は悪くなっているということははっきり言ってもいいんじゃないかと思います。かつては、我々、外国人、欧米人と間違えられないために日の丸を付けておれば、まず山の中のどこに行っても安全だった。ところが、今その日の丸を消さざるを得ないという状況に立ち入っているというのが現実であります。
 私の舌足らずの点は後ほど質問の中でるるお答えしたいと思いますけれども、現在、日本の中でいろんな議論がされておりますけれども、よく私たち、私たちといいますか、日本で当然のように議論のベースになっておる国際社会という言葉、これに私は率直に現地から疑問を呈さざるを得ない。国際社会という実態は何なのか。少なくともアフガンの民衆は国際社会の中には入っていないということは、一連の議論の中から私が率直に、先ほど忌憚のない意見をということでしたので忌憚なく申し上げますと、国際社会の実態というのは、少なくともアフガニスタン、パキスタンの民衆はその中には入っていないということは言えると思います。私たちは、国際社会、国際協力、国際貢献と言うときに、何をもって国際と言うのかという土俵からして十分な審議を尽くさなくちゃいけないのではないかというふうに思います。
 話が長くなりますけれども、やはりこれは、国際というのは、国や国家が、国家、民族、宗教を超えて、人々が互いに理解し合って命を尊重すること、これが平和の基礎であろうと現地にいて分かるわけですね。今、日本はその分かれ目にある。これが最後になりますけれども、いかにより良い世界、より安全で平和な日本を自分たちの子孫に残すか。我々は十年、二十年かすると死ぬ、あるいはぼけてこの世からいなくなってくる。この日本の子孫たちにどういう世界を残すのか、私たちは岐路にあると思います。
 このアフガン問題というのは確かに局地的な国際紛争かもしれませんけれども、これを目先の政治的な道具にしたり、あるいは目先の経済的な利益という観点から見るのでなくて、実際にこれからの日本の岐路を決定する重要な問題だとして先生たちの十分な討議をお願いいたしまして、舌足らずではありますが、私の意見とさせていただきます。
 どうも御清聴ありがとうございました。
○委員長(北澤俊美君) ありがとうございました。
 次に、力石参考人にお願いをいたします。力石参考人。
○参考人(力石寿郎君) 本日は、このような機会を与えていただきまして、誠にありがとうございます。
 私の方からは、我が国及びJICAがこれまでアフガニスタンに対して行ってきた復興支援につきまして御説明をいたしたいと思います。
 お手元にお配りしております資料がございます。「アフガニスタンの復興支援について」という資料でございます。一は国際社会における復興プロセスということで、先生方もよく御存じだと思いますので、これを説明する代わりに、これと、一、二、三、四ページ目に大きな資料が添付、カラーの資料が添付され……(発言する者あり)
○委員長(北澤俊美君) ちょっと速記を止めてください。
   〔速記中止〕
○委員長(北澤俊美君) 速記を起こしてください。
○参考人(力石寿郎君) それでは、この大きなカラーの縦表がございますでしょうか、これの大きいやつでございます。それをちょっと御覧いただきたいと思います。
 これの、アフガニスタンの支援を理解する上で非常に分かりやすい見方は、一番上のこの緑色の部分、これがいわゆるボン・プロセスという政治プロセスでございます。すなわち、タリバン政権崩壊後のアフガニスタンの建国のための基礎づくり、議会の形成ですとか大統領選挙ですとか、そういった一連の政治的な枠組みをつくるプロセスをボン・プロセスと呼んでおります。これが一番左の上の緑の部分。
 それから、それに続く部分がアフガニスタン・コンパクト。これはアフガニスタンの開発の計画でございます。ANDSと書いてございますのはアフガニスタン・ナショナル・ディベロップメント・ストラテジーという略でございまして、通称、我々はアンズと呼んでおります。この中に今後のアフガニスタンの開発の方向性を記した計画書がございまして、これが承認され、そして二〇〇八年、今年でございますが、これが正式にフルANDSといいますか、完成型になったという状況であります。
 そして、その欄の下にずっと、左側に赤い字で分野が書いてありまして、これまで日本がやってきた様々な協力が分野ごとに記されてございます。この一つ一つのバーが協力の長さを表しております。ざっと御覧いただければお分かりのとおり、かなり多くの協力事業を日本政府及びJICAの方で展開してまいったわけでございます。
 今日は時間も非常に少のうございますので、その後ろの方に、その次のページですね、二枚ほど地図、カラーの地図と囲みがあるのが続いておりますけれども、この最初の地図の方がJICAがアフガニスタンに対して行ってまいりました支援プロジェクトのマップになっておりまして、一枚目のマップが二〇〇二年七月から二〇〇八年十月、先月までですね、で終了した案件のプロジェクトの名前がエリアごとに記してございます。そして、次のページが十一月四日現在ということで、今もなお実施中のプロジェクトの数々を地域別に表してございます。
 これだけ文字で御覧いただいてもなかなか分かりづらいということもありますので、その後のページから写真を幾つか、先生方に具体的なイメージを持っていただくための写真を用意してございますので、御覧いただければと思います。
 一番最初はカブールの現状ということで、カブールってどんな感じなのかなというところで幾つかの写真を御紹介してございます。この右下の写真の山が見えますが、これ多分アスマイ山だと思いますが、貧困層の人たちが家を造ってそこに住んでいる。水がないので、一番下まで下りてきて、くんでまた上に持って上がるというような状況でございます。カブール市は今非常に人口が過密になっていまして、従来のカブール市が持っていたいわゆる許容量をはるかに超えた人口が住んでいるがために様々な生活上の不便が生じている状況にございます。
 次のページをちょっと御覧いただきますと、これからは分野別にどういうことをやってきたかというのを絵で御紹介してございます。最初が社会基盤の復旧支援。これは、二〇〇二年から開始された緊急復興支援調査というのをJICAが行いまして、調査だけではなく、実際に物を直しながら調査を進めていくという新しい手法で支援をしたものでございます。
 例えば、最初の上の方がカンダハルの道路プロジェクト、それから右側の方がマザリシャリフの市内の目抜き通りの道路プロジェクト、これ、いずれも未舗装で大変な土ぼこりが上がっていたところを緊急に舗装いたしまして市民の生活の便宜に供しているということでございまして、非常にこのプロジェクトは感謝されております。それから、下の方は学校施設、これはカブール六校、カンダハル七校、マザリシャリフ七校、これを建設いたしました。それから、以前、一九七〇年代にプロジェクトとしてやっておりました結核研究所のプロジェクト、これの建物がもう瓦解寸前の廃墟になっていたものを完全修復してよみがえらせて、今は非常に活発に結核の防止の活動が行われているということでございます。右下の写真がカンダハルの農業水路、これは、しばらく手が入っていなかったものですから、土砂が埋まって役に立たなかったものをしゅんせついたしまして、十キロメートルしゅんせつをして元のかんがい水路の復活を図った。
 次のページに行きますと、除隊兵士の社会復帰支援というのをJICAの方で実施しておりまして、これはカブールにおきまして五百五十名の除隊兵士に対する職業訓練を実施しまして、この一番上の写真の真ん中に写っている方は日本人のJICAの専門家、アドバイザーでございます。これは二〇〇四年一月からやったプロジェクトですが、四年ちょっとたちまして、今は非常に軌道に乗っておりまして、ここの職業訓練校を卒業した人たちの六〇%以上が就職できるに至っております。様々なコースで、自動車整備ですとか溶接とかコンピューターとかそういうことを、除隊した兵士に手に職を与えて就職を図っているということでございます。
 それで、次が実施中の重点分野における支援の幾つかを御紹介しております。
 最初は、農村開発分野。これにつきましては、かんがいや道路、農道ですね、それから農村のインフラ改善をやっておるプロジェクト。それから農民の生活向上支援。さらには、中央から地方に自治権が移譲されるんですけれども、それにまだ十分な用意ができていない、能力が追い付かないというところで行政の能力向上支援もやっております。その他、ナンガハル州の稲作農業改善支援。この一番下の、左下の写真がジャララバードで稲作指導を直接支援しているJICAの日本人専門家でございます。右下の方の写真は農村道路の再建なんですけれども、これは参加型のプロジェクトでございまして、どういうふうにやるかといいますと、まず、いろんな近くの村落の住民の代表者をみんな集めまして、農村開発委員会というものを組織します。この委員会がそれぞれの住民の意見を調整しながらプロジェクトを実施するというやり方です。住民自らが決めたプロジェクトを地域住民が参加してこれを実施すると。隣の村、そのまた隣の村との連帯をつくっていくというような手法の援助でこの道路再建をやっているという例でございます。
 次が保健医療セクターでございまして、これまでやってきた主なものは、建て直しをした国立結核研究所を中心にした結核予防のプロジェクト。それからリプロダクティブヘルス、母子保健を中心とした能力向上のプロジェクト。さらには、都市型保健システム。これは病院のレファレルシステムとか、そういったものが中心なんですけれども、それの整備、ノウハウの伝授というようなプロジェクトをやっております。
 次のページは教育セクターでございまして、まず、フォーマル教育。一年から六年生の教師用教材の作成ですとか、いわゆる教育指導要領の作成。それから、一万人の教員に対するトレーニング。まず、アフガニスタンでは先生の数が足りないんです。就学児童はどんどん増えていきますので、先生の教育を急がなくちゃいけませんが、なかなかその基になる指導要領がないと素人の先生がいい授業ができないということになります。そこで全国共通の学習指導要領をJICAの協力で作りまして、相手側と相談しながらもちろん作るわけですが、それを全国に頒布いたしまして、それを使って学校で先生方が子供たちを教える、こういうような構造になっております。そのほかでは、障害児の教育。戦争や地雷で傷ついた身障者、そういった児童も多いので、これらに対する教育の整備、そういうことをやっております。
 それから、ノンフォーマルの教育分野では、識字教育ですね。非識字者を対象として、今のところ約千六百人を対象に識字教室、それから職業訓練を併せて実施するようなプロジェクトをやってございます。それから、約一万人に対する識字教育の実施につきましては、カブール、バーミヤン、マザリシャリフといったところで行っております。写真はそれぞれの現場を写したものでございます。
 さらに、教育セクターで職業訓練、これにつきましては先ほど御紹介しましたので、ダブりますので省略いたします。
 さらに、その次のページで運輸交通セクターがございますが、これまでにやってきた日本の貢献としましては、まずカブール―カンダハール、約五十キロの道路、それからカンダハールとヘラート間、百十四キロメートルの道路、マザリシャリフの市内道路、こういったところを中心に無償資金協力で実施しております。さらに、道路を造っただけでは早晩傷んできますので、これをどうやって管理するかというノウハウを教えるために、公共事業省の道路維持管理局の能力向上プロジェクトを技術協力で行っております。さらに、カブールの道路技術センターを修復しまして、そこで十分な訓練が行えるようにしております。
 次のページは都市開発セクターでございます。
 これは、先ほど申し上げたように、カブールの持続的な開発に向けた計画策定支援。つまり、カブールのいろんなインフラや何かが能力を超える人口を抱えるに至っておりまして、このままに放置しますといずれのインフラ機能も麻痺して多くの住民が困窮するということなので、これから首都であるカブールの機能をどうやって維持発展させていくかという開発計画を策定しまして、その開発計画に基づいて個々のプロジェクトを実施するという手法でやっております。
 一つは、今深刻な問題はカブール市の水が大変不足しておるということでございまして、今やっておりますのはカブール盆地の深層地下水の賦存量調査、それからカブール市内の水供給のための新たな水資源開発、こういったことも実施しておるところでございます。それから、カブール首都圏の地形図、これは正確なものが存在していないのでいろんなプロジェクトをやるに際しても不便がございますので、これを作っていると。さらに、カブールでもう一つ足りないものは電力でございます。この電力の供給改善支援をやっておるという状況です。
 下の写真は深層地下水の調査ですが、みんなきれいに仲良く並んでいますが、これ、実はこのリグは五百メートル以上の深層地下水の調査も実施できる機材でございます。それから、右の写真が地形図作成の技術指導を日本人の専門家がやっているところでございます。
 以上が、これまで日本政府、JICAがやってまいったプロジェクトの概要でございます。
 今後でございますけれども、先ほど触れましたアフガンの国家開発戦略に基づいて引き続き保健、教育、農業・農村開発、インフラ整備などの分野で支援を継続してまいりたいと考えております。また、アフガニスタン側の自助努力の促進、政府の行政能力の強化、これを同時に図っていきたいと考えております。さらに、首都カブールの再生のための先ほど申し上げたような新都市の建設も含めた将来計画を作るというようなことをやってございます。
 安全対策でございますけれども、先ほどお話がありましたように非常に治安が悪化しておりまして、一つ例をここで引用させていただきますと、治安に関する事件の数でございます。二〇〇三年は全アフガニスタンで五百八件発生していたのが二〇〇七年は六千七百九十二件に達しております。それから、いわゆる自爆テロ、爆弾を爆発させて攻撃するやり方ですが、二〇〇三年には二件発生していたものが二〇〇七年では百六十件に増えております。この数字を御覧いただくだけでかなり治安が悪化しているということが御認識できるのではないかと思います。
 JICAの方では、これら刻々と変わっていく治安情報の収集、それからお互いの連絡体制の整備、それと、ちゃんと万一のときに身を守る防弾車の使用、それから安全確保のための行動規制というものを課しております。これはすべてのJICA関係者にあまねく適用している安全対策方策でございます。
 最後に、今四十五から五十五ぐらいでしょうかね、まあ人の人数は変わりますが、それぐらいの規模でJICAの事業は展開しておりますが、今非常に治安が悪くなってきたということもあり、彼らが日常生活する上で非常に大きな規制をさせていただいていまして、想像を絶する困難な勤務を強いているところでございます。
 例えば、買物に行ってはいけない、町に歩いて出かけてはいけない。それから、外食は許されない、全部賄いですね、自分の宿舎で食事を作って食べるということであります。それから、不要不急のもちろん外出、車での外出も含めて不要不急の外出はしてはいけない。通勤時間帯は毎日変更しなさい。それから、テロの標的になりやすい施設や軍の関係の施設などには近づかない。そのようなことを強いておりまして、もちろん娯楽などは皆無でございます。そういう中で、長い人でありますと二年を超える勤務をお願いをしておって、本当に我々、同僚も言っておりますけれども、頭の下がる思いがしております。
 このような状況で、歯を食いしばって引き続きアフガニスタンの支援に邁進しているところでございます。
 以上で私の御報告を終わります。
○委員長(北澤俊美君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
○犬塚直史君 民主党の犬塚です。
 両参考人、本日はありがとうございます。
 新JICA、これは絶対に成功させなければいけないという気持ちも多分共有させていただいていると思いますし、我々も全力で応援をする覚悟であります。
 今日は、遠いところ、中村参考人、ようこそお越しいただきました。
 我々はこうして一万キロも離れた居心地のいい会議室でアフガニスタンのことを論議しているわけであります。ただ、先ほど参考人がおっしゃったように、今が日本の岐路であるという気持ちは与野党を通じて共有させていただいていると思います。
 そこで、まず、中村参考人が、これはもう既に七年前の衆議院の参考人としてこちらに、日本の国会にお越しいただいたときにこういうことを言っております。日本に対する信頼というものは絶大なものがある、それが、軍事行為に、報復に参加することによって駄目になる可能性がある、私たちが数十年掛けて営々と築いてきた日本に対する信頼感が、現実を基盤にしないディスカッションによって、軍事的プレゼンスによって一挙に崩れ去るということはあり得るということをおっしゃっているわけですけれども、外からこの日本の国会の論議を見ておられて、今どういうふうにお感じになっておられますか。
○参考人(中村哲君) これはおっしゃるとおりでありまして、先ほど申しましたように、どういう立場から、どこで、何を見ようとして見るかということで見え方は違いますけれども、少なくとも、一般の九九%のアフガン人の気持ちに立って物を見ますと、これは確実に私の言ったとおりに、空から降ってくるあの爆弾が、日本もそれに加担してやっているという認識が少しずつ浸透するに従って我々の身辺も危なくなってきているということは是非お伝えしたいと思います。
 以上であります。
○犬塚直史君 そうした困難な状況の中、二十五年余にわたって、まさに現地化というよりも土着化して、これは中村先生がおっしゃったことですが、土着化して頑張っている活動に心から敬意を表したいと思います。
 その上で、私は最近、現地でヨーロッパのPRTと民軍が一緒になっている活動の実態を聞き取り調査をした際に、何が何でも応援はするが、モスクだけは再建することはできないというようなお話があったのが非常に印象に残りました。
 そこで、中村医師の報告の中で、「誤解される「マドラサ」」と、マドラサというのはイスラム神学校と訳されているわけですけれども、これについての御報告がありました。ちょっと引用させていただきます。マドラサは通常イスラム神学校と訳され、タリバーンの温床として理解されているが、実態は少し違います。マドラサは地域共同体の中心と言えるもので、これなしにイスラム社会は成り立ちません。イスラム僧を育成するだけではなく、図書館や寮を備え、恵まれない孤児や貧困家庭の子供に教育の機会を与えると。そのマドラサを水路と一緒に再建の協力をさせたという、その体験を少しお話しいただけますか。
○参考人(中村哲君) まず、PRTについて言いますと、ほかの地域は知りませんけれども、ジャララバードを中心に、東部、南部、北部で、北部というか北東部で行われておるPRTの実態というのは、実は軍事活動の一環としてとらえてまず間違いない。
 例えば医療関係でいいますと、突然米軍の装甲車がやってきて薬を配らせてくれと言う、診療所で。で、とんでもない、なめちゃいけないよ、我々は医者だぞ、正しい診断なしに兵隊が薬を配れるかと言って私たちは断りましたけれども、ほかのNGOはそうはいかない。反対するとやられるかもしれないという恐れでもってそれを受け入れる。副作用も分からない、何も分からないということで、薬をばらまいて一日で過ぎ去ってしまう。これはごく一例でありますけれども、明らかにこれはPRTの、いいPRTもあるんでしょうけれども、私が目撃したPRTというのは、ほぼ米軍の活動を円滑にするための宣撫活動に本質的に近いものだというふうに考えて間違いないと思います。
 だから、私たちがヘリコプター、米軍から襲撃を受けたときも、PRTと密接な関係を持ってというふうに言いましたけれども、PRTと接触すること自体が危険を招くということで、一切ペシャワール会としてはPRTとの接触を断っております。もちろん敵対するつもりはありませんけれども、巻き込まれるつもりもありません。
 それから、マドラッサについて言いますと、これは日本人全体がイスラム社会についての認識が薄いので分かりにくい点もあるかと思いますけれども、どだいこのイスラム神学校という訳し方がおかしい。少なくともアフガニスタンにおきましては、各地域を束ねる中心地がこのマドラッサでありまして、私たちの用水路の開通によりまして、人口それまでわずか二、三万の地域が二十万人以上に膨れ上がってくる。そうなりますと、その地域を束ねる中心が必要になってくるわけでありまして、いろんな地域が、いろんな民族や部族が入り乱れておりますので、アフガニスタンというのは雑炊状態。その異なった集団を束ねるのがイスラム教であり、マドラッサであるわけですね。地域の紛争も、普通金曜日に長老たちや村長さんたちが集まって、そこで解決を図るということで、必ずしも新聞、報道機関などで放送されておるようなタリバーンの温床だとか過激派の育成機関だとかいうわけではありません。
 これは私たちが率先して建てたというより、地域の人々が要請しまして、空き地があったので、これは何の空き地だと言うと、マドラッサの予定地だけれども、国連や外国NGOはマドラッサとモスクの建設だけは外してあるということだった。じゃ我々ついでに建てましょうかと、建物だけは建てましょうということで始めまして、十二月までに完成予定であります。そうしますと、一千名の学童と六百名を収容するモスクができまして、この二十数万人の人口を束ねる中心となる予定であります。
 なぜ我々がそれに手を付けるかといいますと、農村共同体の秩序、これはマドラッサなしには完成しないというのが私たちの基本的な考え方でありまして、単に宗教勢力を敵視するのではなくて、本当のイスラム教徒というのは決して人殺しをしてはいけないというのもイスラムの教えの中にあります。むしろ宗教者の平和的な気持ちに訴えかけまして、地域に平和をもたらそうということと同時に、イスラム社会でこれだけ戦乱がありながらストリートチルドレンが少ないのはなぜかといいますと、これはマドラッサがこういった人々を吸収してそこで育てるという貧しい学童に対する教育機能も兼ねているわけでありまして、それに着目して建設を開始した。
 面白いのは、そのとき集まってきた長老たちがこれで自由になったと叫んだ。それまでイスラム教徒であること自身が罪悪であるかのように取られる。単にマドラッサで学んでいるということだけで爆撃の対象にされて学童が何百名も死ぬという中で、外国のNGOがやったというのはこれは画期的なことだということで、東部では非常に喜ばれました。
 そういうことでありまして、私たちは日本や欧米人の偏見を超えまして、地域の人にとって何が大切かという視点でこのマドラッサの建設を進めているわけであります。
 話がくどくなりましたけれども、そういう次第でございます。
○犬塚直史君 私は、日本のかつては良かったイメージ、広島、長崎は有名であった、日露戦争に勝ったというようなイメージがもう今や崩れつつあると。しかし、しかし日本はまだそういう言わば宗教的な確執からは無縁な立場であり得ると。マドラッサの建設を始めとして日本なりの立場というのはあるんじゃないかと。別にほかと一緒になって同じことをやらなくても日本なりの援助の仕方があるんじゃないかと。私どもはそういうふうに思っているわけであります。
 そこで、我々が今討議をしていることの一つは、いかにして今OEFとかPRTがアフガニスタンの地から出ていけるのかと。やっぱり人道活動をするための空間を維持するために軍事的な組織のプレゼンスが必要ということを認めたとして、ではどのような形でこれがつくれるのかということについて、これはやはり七年前ですが、中村先生がおっしゃっていることをまた引用させていただきたいと思います。これは衆議院の参考人質疑のときです。「これもまた言いにくいことでございますけれども、日本の警察や自衛隊も含めまして、はるかに現地は治安部隊の実戦を積んでおります。これは、パキスタンの治安部隊の仕事でありまして、外国軍隊が、言葉もわからないという中で、とてもあのまねはできるものではない、」ということをおっしゃっているんですね。
 今、我々が一番民主党の法案で中心にしたのは、治安構造分野改革といいまして、現地の警察あるいは軍あるいは司法というものをいかにして応援していくかという視点での立法をしたわけですが、この現地の治安部隊の外国の政府からの応援ということについて、中村参考人の御意見をいただきたいと思います。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 外国の軍事面の援助は一切不要でございます。
 具体的な例を挙げますと、これがすべてのアフガン全土に通用するかどうかは別といたしまして、PMS、ペシャワール会のワーカーである伊藤君が死亡した後、現地の治安当局と地元住民が話合いをしまして地域治安委員会というのをつくり、そこが我々を防衛するという形を取っておる。何のことはない、これが伝統的なアフガニスタンの治安体系でありまして、旧タリバン政権もそれにのっとってアフガニスタン全土を治めたという経緯があります。
 それを考えますと、治安問題というのは基本的に警察の問題であって軍隊の問題ではないということが私たちの基本的な認識でありまして、物取り強盗からあるいは武装集団の解決に至るまで、これは地域長老会、地域共同体と密接にありますそういった治安委員会の設立によりまして、少なくとも、アフガニスタンの都市部は別といたしまして、農村部ではそれが最も良好な形態でありまして、陸上自衛隊の派遣は有害無益、有害無益という言葉が嫌ならば百害あって一利なしというのが私たちの意見でありまして、要するに軍事面に関与せず、そういった地域の自治体制に沿った形での治安体制の確立、これは十分可能なことではないかと思います。
 ただし、これはアメリカのPRTあるいはNATO軍とは無関係なところで日本独自で進めれば、私は武装解除、武装解除プロジェクト、外務省が行いました武装解除プロジェクトというのがありましたが、案外これは十分希望が持てるのではないかというふうに思っております。
 以上です。
○犬塚直史君 今おっしゃった警察の機能についてもう少し伺います。
 今警察が、内務省が大変な腐敗を抱えていて、末端のアフガニスタン政府の警察官は麻薬取引に自ら積極的に加担をしているというふうに聞いておりますが、現場から御覧になっていかがでしょうか。
○参考人(中村哲君) これも伝えたかったことの一つですけれども、日本で考えるような警察力、すなわち中央集権的に警視庁と警察庁がありまして、これが全国隅々まで統括して目を光らせるという体制はアフガニスタンでは不可能。先ほど言いましたように、アフガン農村においては成人男子のすべてが兵員であります。したがって、地域の伝統社会に沿った形の防衛というのはあり得る。これも是非言っておくべきでありますけれども、農村地帯に行けば行くほど、すなわち日本で危険地帯と呼ばれるところに行けば行くほどいわゆる昔ながらの伝統、これは良しあしは別といたしまして非常に強固なものがある。客人と認められれば自分の命を代えても守るというのが大体のアフガン社会のおきてであります。
 それを考えますと、私たちがそういった地域に本当に役に立つということでもって入っていくならば、地域の人たちが守ってくれる。もちろん伊藤君の場合のケースもありますけれども、あれは、詳しくは今日は申しませんけれども事故に近かった。そういった形で、合同治安委員会というのを設置して、今のような形で私が守られているような形でその地域の治安を守るということは十分あり得ます。
 また、日本のいろんなプロジェクトを成すに当たりましても、PRTやNATOとは無関係にそれをすることができるというならば、住民挙げて歓迎するであろうということは私ははっきり申し上げておきたいと思います。
○犬塚直史君 今、日本独自の活動として中立性を持って、しかも現地をよく理解をして、現地の宗教を含めてこれを尊重する立場で支援をするのであれば、現地挙げて応援をしてくれるだろうという心強い御意見をいただきました。
 そこで、少しさかのぼりまして、九・一一後のボン合意というものがありました。この言わば停戦合意、これからの復興をどうしようかという会議に北部同盟の人たちは入ったけれどもタリバンが入らなかった、これが一つ大きな障害であったと言われておりますが、参考人の御意見を伺いたいと思います。
○参考人(中村哲君) このことについては、私は一般的なことしか言えませんけれども、北部同盟もタリバーンも実は似たり寄ったりの内戦であったということですね。ただし、この北部同盟は少数民族であった。少数民族が多数民族を支配するという変則的な形になって、あのときだれもがこれは長続きしないと、少数者が多数派を支配はできないだろうということでありましたが、それが現実のものとなってきました。
 実際には、カルザイ大統領を始めといたしましてパシュトゥン、タリバーンというのはパシュトゥン出身者が多かったわけですけれども、このパシュトゥンの地域に開発を集中させたり、それをなだめるような政策が各国によって取られましたけれども、まだまだ行政内部ではタリバーン全体が冷や飯を食っているという状態。さらに、タリバーンの構成民族でありますパシュトゥン民族は、アフガニスタン北西辺境州の多数派を成しておりますパシュトゥン民族と一体でありまして、このために非常にややこしいことになっておる。この事態はそう長続きしないというのがこれは一致した見方であります。
 以上であります。
○犬塚直史君 先ほどおっしゃった、二千万人のパシュトゥン人を抹殺しない限りはこの軍事作戦の成功はあり得ないだろうという趣旨のことを先ほどおっしゃいました。アフガニスタンの南部、東部、そしていわゆるFATAという地域、そしてパキスタンの北部、西部というところ一帯にこのパシュトゥンの人たちが住んでいると。
 そういったいわゆる国境をまたいでこの人たちが存在をしておるという中で、今我が党が出したこの法案の中核を成すのが、実は抗争停止合意の推進ということを言っているわけであります。これは、国境も実ははっきりしない、そして全国的な停戦を命ずるような、言わば停戦を強制できるような主体も存在しない中にあって、幾つでもいいから地域的に抗争停止合意というものをつくっていこうじゃないかと。
 その際に最も大事になるのは、日本が国として停戦合意ができたならばこういう支援をしていくんだという一つの覚悟といいますか準備だと我々は主張をしているんですが、参考人の御意見を伺いたいと思います。
○参考人(中村哲君) これは既に、おっしゃることは非常に真っ当なことでありまして、これはカルザイ政権、あの米軍に擁立されたカルザイ政権、それからパキスタン側の方も同じ動きをしておりまして、新聞で御存じかと思いますけれども、今もうこの戦争では事は解決しない、基本的に対話路線でいかないと駄目だということが、アフガニスタン、パキスタン両国政府にとってはこれは死活問題になりますから、非常な熱意でディスカッションといいますか対話が開始された直後でございます。これは米軍もイギリスもそうでありまして、武力では勝たないという共通認識が広がりつつあるというのは皆さん御存じかと思います。
 その中にありまして日本がどういった態度を取るか。これはやはり、平和国家を自称する日本といたしましては、おっしゃったとおりに、このまとめ役、調停役として振る舞うと。これはパキスタン、アフガニスタン共に対日感情はまだまだましですから、十分力を発揮し得る政策ではないかと思います。ただし、これが米国やヨーロッパ諸国の手先と思われるような動きを避けて、日本独自の動きであるということを明確に打ち出すべきだというふうに私は思います。
 以上であります。
○犬塚直史君 これは今年になってお出しになった「対日感情の動き」という中村参考人のメールの一節なんですが、少し引用さしていただきます。六月になって日本軍、ジャパニーズトゥループ派遣検討の報が伝えられるや身辺に危機を感ずるようになった。日本が兵力を派遣すれば、我がペシャワール会は邦人ワーカーの生命を守るために活動を一時停止する。これまで少なくともアフガン東部で親日感情をつないできた糸が切れると、自衛隊はもちろん、邦人が攻撃にさらされよう。
 これは、この国会にも実は報告書が提出されたばかりなんでありますけれども、そのように余り知られていない現地視察がどのような形でそうやって現地に広がり、参考人の耳に入ったんでしょうか。
○参考人(中村哲君) これはパキスタンでかなり大々的に報道されました。その際に、我々自衛隊と言っていますけれども、英字紙ではジャパニーズトゥループと書いてあった。パシュトゥー語放送でもこれは報ぜられまして、私のところで働いている職員は、言いにくいものですから顔で分かるんですね、こういう放送があったが本当かと。制服着た人がうろうろしているとかえって我々危なくなるということを率直におっしゃったのを覚えております。そういうことで知りました。
 パキスタンのテレビ放送、それからアフガニスタンのラジオ放送、それからそれを聞いた職員が心配して我々に述べたということでその記事を書いたわけであります。
 以上であります。
○犬塚直史君 済みません、JICAの力石参考人、大変失礼しました。最後に伺いますが、この六月の現地調査は、現地のJICAにも調査団は来たんでしょうか。
○参考人(力石寿郎君) これは来なかったということでございます。接触はなかったというふうに理解しております。
○犬塚直史君 最後に中村参考人に御意見を伺います。
 日本が国家として政府としてこのアフガニスタンに対する支援、どのようなものを現地から期待されますか。
○参考人(中村哲君) まず、何をすべきかという性急な結論を出さず、大きな目でアフガニスタンの流れを見て、これが有効だという道を宣言すること、すなわち何をすべきかと同時に何をしていけないかということを明確にするだけで大きな方針が出される、対日感情の好転も見られるのではないかと思います。
 今の対テロ戦争の破綻というのはだれの目にも明らか。ただ、それを言うとみんなから責められるので、みんな黙っている。裸の王様。その中にありまして、日本が独自に、先ほど申されました治安の回復も、米軍に寄らず、NATO軍に寄らず、独自に地元に寄り添って、地元が納得する形で治安の確立を回復しながら支援の道を探っていく。支援の道は明らかであります。
 先ほどJICAの方もおっしゃられたように、水さえあればいろんなことがアフガニスタンでできる。このことについて力を入れるべきだという宣言をし、そして、国際社会というこのマジックのような言葉に踊らされずに、日本独自の道を見出す。過って改むるにはばかることなかれという言葉がありますけれども、誤りは誤りと認めて、まだ間に合う。ここで議論を尽くして、性急な結論を出さず、しかし大局は大局として見据えて決定していく、抽象的ですけれども、私はそれを望みたいと思います。
 以上でございます。
○犬塚直史君 ありがとうございました。
 以上です。
○佐藤正久君 自由民主党の佐藤正久です。
 本日は、中村参考人そして力石参考人、本当に御多用の中御出席ありがとうございました。
 お二人の話を聞いて、やっぱり本当に現場の方々はそれぞれの分野で一生懸命頑張っておられるということを、肌でというわけにはいきませんけれども、私の経験なりにイメージをオーバーラップさせていただいたというところでございます。
 ペシャワール会の方はやっぱりどちらかというと地方の、まあ田舎の方での支援というものを中心にされて、JICAの方はどちらかというと主要な大きな都市、カブールとかジャララバード、あるいはマザリシャリフ、あるいはカンダハルというようなところでの支援というものを中心にやっているように拝聴いたしました。
 そこで、最初に中村参考人の方にお伺いしたいんですけれども、今地図をお配りさせていただきましたけれども、ペシャワール会の方々が活動をされている現在の州、これはどこの州でされているか、端的にお答え願いたいと思います。
○参考人(中村哲君) これは、ニングラハル州の北部、すなわちジャララバードという都市から、クナール州というのがありますけれども、それの州の境目に至るまでの農村地帯、それからジャララバード南部、スピンガルという山脈がありますけれども、ソルフロッド郡、アチン郡、ホギャニ郡、チャプラハル郡、こういった山のふもとで、これは水利事業ではなくて飲料水確保の事業を進めておりまして、ニングラハル州のジャララバードを挟む南北だということでございます。
 以上でございます。
○佐藤正久君 東部のニンガルハル州の方で行っているというふうに確認いたしました。
 私の今までの経験からいっても、イラクといってもなかなかイラク人というふうに一くくりにするのは非常に難しくて、実際にそれぞれ場所によってやはり宗派が違う、あるいは民族が違う、いろいろそれぞれ場所場所で違うというふうな感じがいたします。アフガニスタンも多民族国家でいろんな、当然、ペルシャ系のパシュトゥン人とか、あるいはタジク人とかハザラ人とか、あるいはトルコ系のウズベクあるいはトルクメンとか、もういろいろいらっしゃいます。
 今日の中村参考人の話は、どちらかというと東部のパシュトゥン人の人が多くいるところでの経験というものを基にしてお話しされたということでよろしいでしょうか。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 そのとおりです。私が見聞きできる範囲というのはパシュトゥン社会を中心とした農村部でありますが、先ほどから訴えております水の需要、これは北部、それからアフガン西部に共通したものがあるということは事実でありまして、事実、カブール市内の水自身が非常な欠乏状態に陥っている。しかも地下水がどんどん下がっていくという状況を考えますと、東部だから東部だけで特殊だという問題でもなかろうというふうに私は推定しております。
 以上でございます。
○佐藤正久君 私も海外に二度ほど、こういうPKOとかあるいは復興支援の方に、イラクと、あるいはゴラン高原ありますし、シリアとレバノンの方で経験をさせていただいていましたが、私のこれまでの経験からしますと、恐らく、パシュトゥンを含め多くのアフガニスタンに住まれている方々が日本に好意を持っているというのは、そういう戦後復興とかあるいは長崎、広島、あるいはそういう日露戦争というものだけではなく、日本は今まで非軍事の分野で、しかも地域とかあるいは民族とかそういうものに分け隔てなく支援をしてきたというところが一番大事な分野でないかなというふうに私は思っています。
 よって、我々がサマワに行ったときも、日本の、特に先輩の方々が、文民の先輩の方々が今まで培ってこられた地域住民との信頼というものを非常に大事にし、それを守り、できればそれを発展する形で支援をしないといけない、自立支援をしないといけない、これでなければ血の通った支援はできないし、安全もままならないというふうに思いました。そこで、やっぱり政府もそうですけれども、地域住民の立場で共に考え、共に決定し、共に行うということをほかの軍隊とは違うやり方でやらせてもらったと思っています。
 しかしながら、やはりそこには治安という部分がどうしても考えなきゃいけないということはどこの支援組織でも同じだと思います。PKOについては、国連の第二代総長のハマーショルドさんが、PKOは軍人の仕事ではないけれども、軍人でなければできない仕事だというふうなことを言われました。恐らく復興支援の分野でも、やはり国連のPKO、あるいはそういうある程度の武力集団が関与しなければ国づくりとかあるいはそういう再建というものができない時期とか場所もあるんだろうということでいろんなところに今展開をしていると。昨年末に民主党の方々が提案されたテロ根絶法案という中でも、そういう発想の下に、自衛隊が活動するという場合もあるという前提で自衛隊をアフガニスタン本土で民生支援を行うということも踏まえた法案を出されたと思います。
 それで、中村参考人にお伺いしますけれども、そういう民主党の方々も一部賛同されておられるように、自衛隊が治安維持ではなく民生支援という形で現地に入るということについて、どういう要領であれば非常に現地の方々とマッチングするのか、絶対マッチングしないとお思いなのか、その辺りをお聞かせ願いたいと思います。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 自衛隊派遣によって治安はかえって悪化するということは断言したいと思います。これは、米軍、NATO軍も治安改善ということを標榜いたしましてこの六年間活動を続けた結末が今だ。これ以上日本が、軍服を着た自衛隊が中に入っていくと、これは日本国民にとってためにならないことが起こるであろうというのは、私は予言者ではありませんけれども断言いたします。敵意が日本に向いて、復興、せっかくのJICAの人々がこれだけ危険な中で活動していることがかえって駄目になっていくということは言えると思います。
 してはならないということは、これは国連がしようとアメリカがしようとNATOがしようと、人殺しをしてはいけない、人殺し部隊を送ってはいけない、軍隊と名前の付くものを送ってはいけない、これが復興のかなめの一つではないかと私は信じております。そのことは変わりません。
○佐藤正久君 もう一度確認しますが、治安維持任務ではなく、民主党さんが出された法案も、人道復興支援という分野で、あるいは民生支援という分野での自衛隊の活動を一応考えているというふうに私は理解しております。今言われた、治安維持分野ではなく復興支援分野で自衛隊を運用するということについてはいかがですか。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 ならば、JICAを全部引き揚げて全部自衛隊員を送ればいいことでありまして、それなら、それじゃないとできないというならば、麻生首相自ら銃を握って前線に立ってもらいたい、その上で考えてほしいと私は思います。
○佐藤正久君 冷静にちょっとお話ししたいんですけれども、自衛隊が復興支援あるいは民生支援で現地で行うということとJICAの方々を引き揚げるということとどういうふうな関係があるんでしょうか。もう少し丁寧にお考えをお聞かせください。
○参考人(中村哲君) これは明らかであります。自衛隊が復興支援に携わるというならば、現在、復興支援で死力を尽くしておられるJICAの方々の立場はどうなるのか。JICAの人々はただの付録なのか。自衛隊が銃を捨てて現在のJICAの仕事ができるのかということを考えますと、自衛隊がしゃしゃり出てくるならJICAの支援も要らないということであります。また、NGOも要らないという議論になってくるかと思います。
 私が言いたいのは、軍隊と名の付くものを、日本では軍隊とは呼びませんけれども、実質的にこれは国際的には軍隊だ、軍隊と受け取られるものを現地に送る必要が、あえて復興というならばあり得るのかと。治安という意味ならば、先ほど民主党の方が御質問されたとおりでありまして、自衛隊を送らなくとも治安を守る、日本人ワーカーを守るという方法は幾らも存在するわけであります。その道を探らずしていきなり自衛隊が復興に出てくるのは私はおかしい。自衛隊派遣は、七年前と同じことを言いますけれども、有害無益と私は強調したいと思います。
○佐藤正久君 私も国際貢献というのは、海外支援イコール自衛隊という考えは持っておりません。非軍事、先ほど言いましたように非軍事であるのが一番いいわけで、実際そういう非軍事での海外支援が主流だということは、今の日本の政府の活動から見てもそれは明らかです。
 ただし、場所とか地域で使い分けをした方がいいんではないかという部分があろうかと思っています。同じ地域で自衛隊とJICAの方がやるという場合は、今、中村参考人言われたような懸念もあるかもしれませんけれども、場合によっては、アフガニスタンでもいろんな地域がございます、そういう治安の状況によっては、JICAの方々がされるような復興支援を行う場所と、あるいは自衛隊というものを使いながら復興支援する場所と、使い分けをしながら困っている人を助けるというやり方も私はあろうかと思います。これについて、力石参考人の方にお考えをお聞かせ願いたいと思います。
○参考人(力石寿郎君) 大変難しい御質問だと思うんですね。自衛隊が来たら、先ほど中村参考人がおっしゃったように、やはり印象としては軍隊の印象を持たれますので、そうすると、今まで民生支援中心にやってきた日本までがついに軍隊を送ったかと、そういうようなとらえ方をされてしまうおそれが多々あるというところは否めないと思います。
 その上で、それが可能かどうかというのは私の立場では何とも申し上げられようがないので確たるお答えはできないんですけれども、一般的には、現地の武装勢力の人たちも事あるごとに声明を出している、あるいは警告を出しているように、外国の軍隊は全部出ていけ、外国人もすべて出ていけということを繰り返し言っていることから推察すれば、自衛隊が歓迎されざる存在に映るのは恐らく必定だろうというふうに思います。ですから、使い分けができるかどうかというのは非常に難しい判断だと思います。
○佐藤正久君 やはり、復興支援のときに治安をどういうふうに認識し、そういう情勢から自分の身を守るかという部分が一つはポイントになり、あるいは、一つは地元の方々にいろんな、おふろとか食事とか無用な負担を掛けずに自分で全部面倒を見れる、自己完結性の能力を持って支援をするという部分が多分今回我々がサマワに派遣された一つの要因ではなかったかなというふうに思います。
 私たちがサマワに行ったときもあるいはゴラン高原に行ったときも、彼らは同じようにやっぱり言われました。おまえたちは客人だからおれたちが絶対守るんだと。何があっても命を懸けて守る、部族の名誉に懸けて守るということは言われるんですけれども、さはさりながらも、やはり自分で自分の身を守るために、先ほど力石参考人が言われたような情報収集というものはしっかり行いながら、あるいは行動規制というものをやりながら行わないといけないと。やはり全幅の信頼を向こうに預けるという部分だけでは、身を守れる、あるいは部下を守るということには非常に懸念を私は有しております。
 そこで、力石参考人にお伺いしますが、現地の方で実際にいろんな活動をされております。そのときの治安対策の一つとして、PMCと言われるような民間の警備会社とか、そういうものを実際に使われておられるのかどうか、それについてお答え願います。
○参考人(力石寿郎君) 行く場所とかそのときの状況によって警護を付ける場合がございます。そのような民間のセキュリティーガード会社と契約を結びまして、必要な場合に必要な出動をお願いしているというのが現状でございます。
○佐藤正久君 やはり場所場所でそこは異なると。私と同じ認識なんですけれども、住民と一緒に活動するといっても、場合によっては一〇〇%安全確保というわけにはいきませんので、それなりに自分たちで情報を集めて分析をして、必要に応じてやはり何らかの手段を使って守ると。現地の治安を維持するというのではなく、自分の身の安全を守りながら復興支援を行うという部分がやっぱり基本ではないかなと思います。
 ちょっと観点を変えて、お二人に確認いたします。
 仮に今ISAFとかいうものがなくなったら、アフガニスタンの治安は改善すると思われますか。力石参考人からお願いいたします。
○参考人(力石寿郎君) これも非常に難しいお話ですが、ISAFが一定の治安抑止力を発揮しているというのは確かなことだと思います。ですから、二つの見方がありまして、一つはISAFがいるからあれだけで済んでいるというような見方と、ISAF、すなわち軍隊がいること自体が治安を悪くしているという見方と両方可能なんじゃないかと思うんですね。
 現地の人たちは恐らくそのような多様な意見を多分お持ちなんだと思うんです。ですから、一枚岩で意見が一致しているということは多分ないので、そこはISAFがいなければどうかという推測はなかなか難しいと考えます。
○参考人(中村哲君) 私もほぼ類似の意見でありまして、背に腹は代えられないということで、米軍の協力者となる、あるいはISAFの傭兵となるということが普通でありますけれども、一方、先ほどJICAの方がおっしゃられましたように、今まで平和だったところがISAFが進駐したがために混乱状態が起きるというのも事実でありまして、これは国軍兵士、警察はもちろん国軍兵士も含めてアンビバレンツといいますか、複雑な感情でおると。いったん事があるときは国軍自身が米軍に向かって発砲するであろうということは想像に難くないわけであります。
 それを考えますと、ISAFの存在が治安にどれだけ貢献しているのか。一方で悪くしながら、一方では雇用機会を与えて安定させているというのも事実でありますが、全体的に見ると、じゃ、ISAFが来なければどうだったのか。私が経験したタリバン政権時代、皆さんがお嫌いになっておるタリバン政権時代は今の百倍は治安はましだと。ともかく、外国軍が入ってきてから治安が悪化したという事実はこれはどうしようもない事実だというふうに、これはアフガン人のほとんどが認めておるところであります。
 外国軍に対する嫌悪、食えないのでやむを得ず従っておるというのがもう現実でありまして、私たちの作業現場、少なくとも下々から見た現場というのは、ほぼ一〇〇%が非常に反米主義的な傾向が強いということはお伝えするに値すると思います。
 以上です。
○佐藤正久君 いろんな意見がやっぱりあって、多様性、背に腹は代えられないという部分もやっぱりあるのかなという部分を私も感じます。しかしながら、やはり治安の維持というのは非常に復興支援を行う場合においての一つの前提要件になりますので、それをどういう形で保っていくか。そのために、警察あるいは国軍の育成というものも、今アフガニスタンのカルザイ政権を支援する形で国連の機関とかあるいは日本とかあるいはドイツ等が行っているわけですけれども。
 中村参考人にお伺いいたします。前の旧国軍兵士を武装解除、動員解除して社会復帰させるDDRというものについて、これはインターネットの記事で昔見たんですけれども、中村参考人はどちらかというと批判的なコメントがやっぱり載っていたと思っています。計画倒れに終わったというような趣旨だったと思いますけれども。今はDDRが取りあえずアフガニスタン政府の意向としては終了し、そして非合法の武装組織の今武装解除、社会復帰の方をやっていると、DIAGというふうに呼んでいるようですけれども、これを行っていると。このDDR、DIAGについての中村参考人の率直な評価をお聞かせください。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 DDR自身は、私はこれは動機は非常にいいというふうに評価いたします。日本は、そういった意味で、しかも、たとえ結果がどうなろうと、あれができたのは日本が平和国家だというイメージを背景にしてできたわけでありまして、私はそれをやった人を悪く言おうとは思いません。ただ、その結末が、結局、今の悪循環にのみ込まれて無駄に終わることがあるんじゃないかということを私は申し上げたわけでありまして、その努力自体は率直に大いに評価したいというふうに思っております。
 以上です。
○佐藤正久君 同じ質問を力石参考人にもお伺いしたいと思います。
 DDR、DIAGに対する評価をお聞かせください。
○参考人(力石寿郎君) DDRにつきましては、私どもJICAの中ではあれは成功事例だったというふうに評価しております。
 DIAGにつきましては、中村さんがおっしゃったように、状況が良ければ通常は非常に効果を上げる手法だと思います。実際、似たような手法で過去、例えばカンボジアなどで日本政府が行ったいわゆるガンフリービレッジをつくっていって武器を全部供出させて、その武器をサレンダーした村には開発の見返りをちゃんとやっていくということで、それを一村ずつ攻めていくというか実施していってかなりその地域の潜在的な治安が良くなったという成功例もあります。
 ですけれども、アフガンについては、今のような治安の悪化がありますと、逆に武器を持っている農民あるいは市民がそれを放したくないというそういう精神的な状況に追い込まれますものですから、果たして武装解除が効率的にできるかというのはなかなか難しいかなというのが私の印象でございます。
○佐藤正久君 やはり、そういう今治安を改善する一つのやり方として警察あるいは国軍の育成と同時にDDR、DIAGをやっているわけですけれども、そういう中でも、それが過渡的であればやはり、もう一回言いますけれども、自分の身を、あるいは自分のグループを自分で守るためにいろんなことを、先ほど民間の警備会社を使うとかいろいろ言われましたけれども、いろんなことをやるんだろうというように思います。そのためにはやっぱり情報収集・分析というのが一つの基礎になると思います。
 そこで、中村参考人にお伺いいたします。今どういう形でそういう治安情報というものを吸い上げて、それを自分のスタッフの方に伝えているのか。やり方がもしもここで答えられるんであれば答えてください。お願いします。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 これは皆さんに言えないこともあります。どういうことかといいますと、これは先ほど、アフガン農村の性質からして、彼ら自身の秘密にしていることは外部に漏らさないという約束の下に進められることもありますし、例えばパキスタン側でこういう動きがあってこっちに影響があるだろうという情報、一方は意図的にカブール側から流される情報、で、情報源はどこなのかということを知って、ああ、ここだったらいつもこういう情報を流しているなということで大体の推測を付ける。それから地理関係。どこの地域にどういう部族が住んでいて、どういう考えをして、どことどこの部族が闘争関係にあるか、これも把握しておかないと、とばっちりがこっちに来るということもありまして。
 先ほど言いましたように、私たちが守り得る大っぴらな手段と申しますのは、地域住民と治安当局が一体になって治安委員会を設置して、そこが我々を客人として守るという形態。これは実はアフガン農村社会における普通の形態でありまして、我々はそれによって守られておる。それは武器を持たない場合もありますし、場合によっては武器を携行するという場合もあるということなんですね。それによって少なくとも私自身の身は現在守られておるというのが実情であります。
○佐藤正久君 当然細部は言えないと思います。ただ、そういう情報は頻繁に入手をし、分析をし、それを活用しているということだと思います。
 今年の六月から八月のニンガルハル州におけるテロも大体毎月二十件を超えているというふうに聞いています。
 八月に非常に悲しい事件があったわけですけれども、八月においても結構今までよりも治安が危なく、状況が荒れているというものは、そういうどこかのルートから中村代表の方には入っていたというふうな認識でよろしいでしょうか。
○参考人(中村哲君) ええ。私たちが予測していたのは、四月ごろからだんだん悪くなってきて、恐らく今年の冬、もう五百万人の追い詰められた飢えた人々は黙っていないだろうと。それまでにいろんな、単に政治的な動きだけではなくて物取り強盗が増えるだろうから、徐々に邦人を帰すべきだというのが私の判断でありまして、それを実施しておるやさきでありました。
 以上です。
○佐藤正久君 どうもありがとうございました。
 今後ともしっかりと安全というものを確保しながら、住民の目線に立った活動を、あるいは本当に困っている人への活動をJICAさん、そしてペシャワール会の皆さんにはやっていただきたいと思います。
 以上で終わります。ありがとうございます。
○浜田昌良君 公明党の浜田昌良でございます。
 本日は、中村参考人また力石参考人、お忙しい中御出席を賜りましてありがとうございます。特に中村参考人には、非常に遠方といいますか厳しい中で農村開発、またかんがい、水の開発をされたことについては敬意を表したいと思います。
 中村参考人のいろんな今までの講演された内容等を見させていただいたんですが、ちょっとああそうなのかなと思ったのは、例えば政府の無償資金協力とかJICAのとか、そういう外部資金との連携を余り何かされていないような感じがしたんですが、特に、資金面で国際機関であったり日本の政府であったり、そういうものを使うと使いにくいというようなところが何かあるんでしょうか。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 実際には、我々は一〇〇%自己資金だと言っておりますけれども、過去、外務省無償資金ですか、大使館を通じて行われる、によって車両の供与を受けたこともありますし、これは公的資金とは言えませんけれども、郵便局ボランティア基金、これが予算の四分の一を占めていたこともあります。現在、私たちの資金そのものが郵便局ボランティア基金よりも増えてきましたので、やはり郵便局としてはより少ないところにこの恩恵を及ぼそうということで今のところ一〇〇%回されております。
 肝心の御質問の答えですけれども、これは公的資金を受けますと非常に動きにくい面も出てきます。それはもちろん悪いことをする団体がおるから厳しくするんでしょうけれども、余りに規制が厳しくて運用がしにくい。例えば組織でもらいますと非常に厳密な会計報告をしなくちゃいけないので、そのためにまた一人雇わなくちゃいけない。そのために組織を守るのが主体になって肝心の事業が、私たちの場合、ほかのところ全部とは言いませんけれども、ついそういう傾向になりがちであるということで私たちは今すべて自己資金。
 例えば年度予算にはないものを必要だからすぐやろうと、こういう決定が速やかにできるということ、それから募金者というかお金をくれる人を喜ばすような宣伝をしなくていいということ、これが非常なメリットでありまして、お金がある間は自分たちでやって、お金がなかったら政府に頭を下げてお金をもらおうかなというふうに考えております。
○浜田昌良君 ありがとうございました。
 アフガニスタンで長年の経験を持っておられまして、その経験は何物にも代え難いものだと思います。そういう意味では日本政府のいろいろな資金が中村さんの団体にとっても使いやすいような形になることを我々は政府に働きかけていきたいと思っております。
 逆に、JICAの力石参考人にお聞きしたいんですが、そういうNGOとの連携、現地ではどのような形で取られているのか、お聞きしたいと思います。
○参考人(力石寿郎君) 数は限られておりますけれども、数件、NGOとの連携を組んでやっている事業がございます。
○浜田昌良君 分かりました。
 他機関との連携についてはこれぐらいにしまして、次の話に移りたいと思いますが、WHO、世界保健機構がこの二〇〇八年に発表した数字なんですが、アフガニスタンで毎年一万五千人の方々が命を失っていると、こういうものがあるんですが、この原因は何だと思われるでしょうか。中村参考人、力石参考人にお聞きしたいと思います。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 WHOですから恐らく保健関係、恐らく病死でしょうけれども、たった一万五千人では、これは私の印象ですけれども、一万五千人ではないということは確実だと思います。
 私の東部で見る限りのことで、これは北部、カーブルのことよく知りませんけれども、犠牲者の大半は子供の腸管感染症、下痢ですね、下痢、それから腸チフス、肝炎などの腸管感染症によるものがほとんどであります。先ほども申しましたけれども、くどいようですけれども、私たち医療団体が清潔な水と食べ物と言って頑張っておるのはそういう理由によることであります。ほとんどは子供の下痢による死亡者が圧倒的多数だということが言えると思います。
○浜田昌良君 力石参考人、いかがでしょうか。
○参考人(力石寿郎君) やはり基本的なベーシック・ヒューマン・ニーズのインフラが整備されておらない、十分なきれいな飲み水が確保されないということがあるのと同時に、地方におきましては医療施設が非常に足りない。非常に遠隔の地から病人を運んでこなくちゃいけないとか、あるいは妊産婦の方が定期健診をなかなか行えないとか様々な理由で乳幼児・妊産婦死亡率、それが高いのと、また、我々が今取り組んでおります結核でございますけれども、これは相当いい成果を出していると思います。
 ただ、やはりそういう医療に対するアクセシビリティーといいますか、特に農村地帯では非常に悪うございますので、その上に更に、中村参考人が言われたように、きれいな飲み水がないとか、まだまだ民生の分野でやるべきことはたくさんあるんじゃないかというふうに考えております。
○浜田昌良君 ありがとうございました。
 今、力石参考人が触れられました結核なんですね。これはWHOが今年出した写真集、結核が何千ものアフガニスタンの命を引き裂きつつある、今がそれを直すときだというこの写真集がこれ出たんです。(資料提示)少し紹介させていただきますけれども、この結核という問題がかなり成果を上げられていると力石参考人はおっしゃったんですけれども、実はこの写真集によればまだまだであるというような状況でございまして、一例紹介されているのが女性、女の子なんですが、この方なんですね。この方はファジリアさんといって、二〇〇七年五月十九日に病院に担ぎ込まれたんですが、二年間間違った情報で結核と診断されなくて、最終的には脊椎結核と診断されたという状況でございます。
 しかし、こういう状況は彼女だけじゃなくて、毎年結核で今言いましたように一万五千人の方が亡くなっていて、かつそのうちの一万三千人が女性なんですね。しかも働き盛りの女性であります。そういう意味では非常に働き盛りということも含めてこの問題の深刻さを感じるんですが、しかも、そういう人たちが実は、先ほど貧困層の話もございましたですけれども、不法占拠された住宅があります、そういう住宅の中で、閉ざされたドアの中で閉じ込められているという状況でございます。
 そういう意味で、アフガニスタンの日本の復興というのは、中村参考人が取り組まれておられます食料の面と医療の面、この二つをうまく両輪のように進めていく必要があると思うんですが、まず少し力石参考人に、結核面で少しいい成果も上げているという話もありましたが、今までJICAとして取り組まれてきた内容についてお話しいただきたいと思います。
○参考人(力石寿郎君) 結核のプロジェクトは、これまで金額、計画額にして七・八億円程度を掛けまして、日本の専門家延べ二十九名派遣をしております。今、現在ではカブールに四名派遣中でございます。専門家以外には、保健分野の相手側のカウンターパートの人たち、これの研修、日本に呼んで研修をするわけですが、これがこれまで合計百七十六名研修に来ております。
 私どもが現地で展開しているやり方は、いわゆるDOTSという、これは専門用語になりますが、県の結核担当者にそのDOTSをどうやって行っていくかということを教えて、その先は、日本の専門家はなかなか治安の問題もあって奥地までには行けないんですが、そこで現地で活動している地元NGO、その人たちに託してDOTSの薬配布、それから薬を各患者に飲ませるという、そういう活動を根気よく続けてきております。
 そういうことで、既に二〇〇二年からこのプロジェクトを始めておりますので、もう六年以上たつわけでございまして、この成果といいますのは、まずDOTS手法が定着してきたということで、ほかの国の例でも類推できるんですが、DOTSが定着しますと、あるところまでは新しい患者の発見で人数が増えていくんですけれども、あるところからずっと下がっていくというのを我々経験的に分かっておりますので、まずひたすらDOTSの普及をやるというところに力を入れております。
○浜田昌良君 そのDOTS、直接監視法の普及というのは重要だと思っています。また、現地では磯野光夫さんが頑張っておられるというふうにも聞いております。そういう意味で引き続き、このプロジェクトは今日の資料によると二〇〇九年までとなっておりますけれども、引き続き取り組む課題だと思っておりますので、力を入れていただきたいと思います。
 中村代表にお聞きしたいのは、じゃ、カブールの話だとそういう状況なんですけれども、ジャララバードなんかではこういう結核の問題はどういうふうになっているのか、どういうふうにまた逆に、代表はお医者さんでもありますので、取り組んでおられるのか、お聞きしたいと思います。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 これは、カーブルのような大都市と農村地域では随分事情が違うということは御理解いただきたいと思います。
 というのは、単に外国人が入れないというだけではなくて、先ほどおっしゃいましたようにアクセスが非常に悪い。私たちも、ハンセン病の根絶計画である程度の事情分かりますけれども、定期投薬というのが非常に難しい。これは各診療所のあるところはまだましであります。アフガニスタンの全土で診療所のあるところを探す方がまだ早い。ほとんどの地域が無医地区であります。こういった状況の中で、一つのトライアルとしてある地域を選んでやるという、まだ途上段階だということを意識してやれば、これは徐々に徐々に、何年も何十年も掛けて私は実現できるものではないかというふうに思っております。
 そういうことでありまして、すぐに何でも実現せよというのは余りに性急過ぎるというふうに私は思います。これはほかの分野でも同じでございます。
 以上でございます。
○浜田昌良君 ありがとうございます。
 確かにすぐに成果は出にくいと思いますけれども、この結核の分野は、日本は戦後毎年十六万人ぐらいの方が亡くなっていたのが今はもう数千人以下になっておりますから、かなり保健衛生の分野で成果を上げた分野だと思っております。そういう知見を是非アフガニスタンでも使っていただきたいなと。
 調べましたら、日本の結核予防会の結核研究所で、アフガニスタンの専門家で五十六名の方を日本で研修して現地に送り戻しているということが分かっております。そういう方々としっかり現地で連携していただいて、特に中村代表はお医者さんでもありますので、このカブールだけではなくて、そういう村落における結核対策というのについて是非お力をお貸しいただきたいと思います。
 本件については、日本の厚生労働省、外務省、そのほかJICA、またWHO、またNPO法人が連携しまして、ストップ結核パートナーシップというもののアクションプランを作っていまして、日本の経験と資金と技術によって結核患者、毎年百六十万人死んでいますけれども、十六万人削減していこうということを提案したものが今年の秋出ました。そういう意味では是非アフガニスタンにおいても、世界の中では十七番目に患者数が多い国であります、死亡者も多い国でありますので、お力をお借りしたいと思います。
 それでは、次の話に移りたいと思いますが、先ほど少し話も出ましたが、ペシャワール会では伊藤さんの残念なことがあったわけでございますけれども、なぜ、あそこまで村民に慕われていて、また安全にも十分配慮されていて、それでああいうことが起きるんだろう。また、ああいうことによって今後伊藤さんの死を無にしないようにどう改善していけばいいのかという点について、中村代表の御意見を賜りたいと思います。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 これは二つありまして、一つは先ほどから繰り返されております組織あるいは個人レベルでの防御体制、それからもう一つは治安悪化を促す要因の退治、この二つが組み合わさないと、これだけということはないわけでありまして、幾ら日本が治安がいいからといって無防備でおれば新宿で刺されたりするわけでありまして、私たちは個人的な防御につきましてはいろいろ対策を講じてきましたけれども、その具体的な方法については先ほど申し上げたとおりでございます。個人自身が気を付けなくちゃいけない。つい日本の感覚でぶらぶらっと出てやられてしまうということは是非避けたいと思いますけれども、それが不幸にして起きてしまったということですね。
 私が申し上げたいのは、以前はそんなことは考えられなかったのになぜ起きたのかということを考えますと、これは外国軍の干渉、米軍及びNATO軍のアフガニスタンへの軍事介入、あるいはパキスタンの軍事介入と無縁ではなかろうと思います。その背景について責任を持つのが日本国家の政治家の責任ではないかというふうに私は思います。何もこれで国を責めようとは思わない、我々が無防備だったとしか言いようがない。しかし、我々としては最善の力を尽くしたつもりであります。
 その背景についてもっと詳しく突っ込んだ議論があっていいのではないか。あのとき報道されたのは、中村代表は治安の認識の甘さを認めたという報道が大々的にされた。これは誤報でありまして、私がはっきりバンコックで述べたのは、私を含め報道機関それからいろんな日本の機関、日本国民すべてがこういった認識が甘かったということが、中村代表が自分の治安の認識の甘さを認めたということで矮小化されてしまったということに私はついでながら不満を述べておきたいと思います。
○浜田昌良君 ありがとうございます。
 まさに個人としてできる対策、個人ではできない対策、両方あるんだと思います。
 この後者の関連で少しお聞きしたいと思うんですが、先ほど御説明の中で、いわゆる空爆がなされていると、爆弾が空から降ってくるという、こういう表現もあったんですが、ジャララバードのどちらかで中村さんが何かそれを経験された、見られたことはあるでしょうか。
○参考人(中村哲君) これは私は落ちてくるところは見たことはありませんけれども、二〇〇一年以後ですね、ソ連軍時代にはありました。これは最近の高性能火薬の威力というのは物すごいものでありまして、村全体が真っ黒になるように見える。我々、落とす側の映像しか見ませんけれども、落とされる側の映像というのはほとんどない。死んじゃうんですね。そういうことを考えますと、もう少し死ぬ人に、その空爆によって死んでいく人たちの命に対する配慮があってもよかったんじゃないかと、的外れかもしれませんが、私は思います。
 カーブルで私たち二十名、死ぬのを覚悟で食料配給をしたことがあります。まともに爆弾の下におったので、それは十分私としては理解しておるつもりであります。
○浜田昌良君 今、ソ連の侵攻のときには実際に体験されたという生々しいお答えをいただいたんですが、ここで一点ちょっと中村代表に、少しこれ認識が我々と違うなという点があるんです。
 何かといいますと、先ほどの御発言の中で、米国の軍事活動に協力していると知れ渡ってしまうと身の不安が感じるという話がございました。今この国会で審議をしている新補給支援法、前のテロ特措法は廃案になりましたので、期限切れになりましたので、この新しい法律の場合はOEFという陸上作戦とは完全に切れた関係になっているんですね。司令部は違いまして、それぞれ陸上と海上阻止活動は。よって、この海上阻止活動に給油している日本というのは空爆を支援しているわけでは全くないんです。そこは是非、多分現地では中村代表の影響力って大きいと思いますので、それは前の法律とは違って、日本はあくまでインド洋上で不審船があるとそれを無線照会をして、旗国の同意の下でチェックをするというものに給油をしているのでありまして、航空母艦とかそういうものじゃないということを是非御理解賜りたいと思いますが、それはよろしいでしょうか。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 それは、私に通じても現地の人には通じないということ。それから、この給油対象のほとんどでありますパキスタンの軍隊、これが今大々的にパキスタン側から空爆しておるわけでありまして、おっしゃられることは現地に対しては説得力はないと思います。たとえ一%であろうと二%であろうと米軍に補給しているという事実、このことは現地に対して非常にアレルギーと言えるほどの反応を起こすということは確実だということは申し上げておきたいと思います。
○浜田昌良君 米軍に支援しているという意味では、別に日本の米軍基地もありまして、そういう関係にもあるわけですが、あくまでも日本としてやっているものは、空爆をしたり、また掃討作戦をするような部隊への給油ではないということは是非中村代表自身も御理解いただいて、現地の方の誤解が解けるように御協力賜りたいと思いますし、先ほど国際社会という、国際のとらえ方が違うんじゃないかという御意見もいただきました。いわゆる国際社会にアフガン人が入ってないんじゃないかという話かもしれませんが、我々自身も国際社会って別にアメリカの声ではないと思っています。我々としては、例えば国際連合、国連で、アフガニスタンに対して各国ができる範囲で協力をしろと、復興に協力をしようという要請もありましたし、また日本が行っているこの海上阻止活動に対しても高い評価もいただいていると。そういう意味では、国際社会というのは一つには国連の中で評価をされているという位置付けを御認識いただきたいんですが、この点についてはいかがでしょうか。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 それは内輪の議論でありまして、アフガニスタン、パキスタンではそういう議論は通じないということですね。そのことだけはお伝えしたいと思います。あれはOEF内部での軍事活動、一言で言えばそういうことでありますので、それが、その油がどこの国にどれぐらい行って空爆には使われてないと言っても、現地の人にはすっきり受け入れられない事実があるということは是非伝えたいと思います。
○浜田昌良君 そういうふうに考えますと、逆に言うと、ISAFなりOEFというものに対して協力している国が四十数か国あるわけですね。欧米諸国だけではなくて、例えばアジアではモンゴル、パキスタン、トルコという国があるんですが、こういう国に対しても現地の方々は憎悪の念を持っておられると考えてよろしいんでしょうか。
○参考人(中村哲君) 面白くない感じは持っているでしょうね。しかも、参加国の大半は、参加しないとテロリストの味方と思われるので、嫌々ジェスチャーで参加しているというところがほとんどであるということは知っておいてもいいんじゃないかと思います。
○浜田昌良君 時間なので最後の質問にさせていただこうと思うんですが、先ほど自民党の佐藤委員からもいろんな御質問ございました。佐藤委員はイラクのサマワで、現地で現地の住民の方に給水活動されたり復興活動されたりしたわけですね。サマワにおいては、日本の陸上自衛隊が現地の方々からも評価をされ、学校も補修をし、そういううまい関係ができたんですが、今、中村代表の御発言だと、日本の自衛隊はそういう関係はアフガニスタンでは築けないよというようなお話なんですが、そのイラクでできてアフガニスタンではできないというのはどの辺が違うと考えればよろしいんでしょうか。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 それは私もよく分かりません。イラクとアフガニスタンでは、恐らくは、社会構造の違い、文化の違い、いろいろあると思いますけれども、アフガニスタンでは非戦闘地帯は存在しない。あっても、部隊が駐留すればそこが戦闘地区になる。例えば、我々の水路沿いに自衛隊があの大事な仕事を守らなければといって来れば、我々としては大変迷惑な話だと。恐らく水路の作業員五百名は全部武装して自衛隊に反抗するでありましょう。
 そういうことを考えますと、私は、おっしゃる質問の答えにはなりませんけれども、その辺はイラクとは随分違うんだと。しかも、自衛隊が出てくる必然性はないということははっきり申し上げたいと思います。
○浜田昌良君 念のために言っておきますけれども、私ども自衛隊は行くべきと思っていませんので、その前提で聞いておりますので、その点は確認させていただきたいと思います。
 早速、今日はいろんな御所見をいただきましたので、我々日本としてできる援助又はいろんな支援の在り方について参考にさせていただきたいと思います。本日はありがとうございました。
 終わります。
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 今日は、中村参考人、力石参考人、御多忙の中、また、とりわけ中村参考人は遠路、本当にありがとうございます。現地からではないと聞けない貴重な本当にお話を聞かせていただきました。
   〔委員長退席、理事浅尾慶一郎君着席〕
 まず、中村参考人に総括的にお聞きをするんですが、いわゆる対テロ戦争として七年間、始まってからたちました。軍事力ではテロはなくならないというのが私は実感として持っておるんですが、この点、中村参考人、現地におられての実感はいかがでしょうか。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 軍事力ではおっしゃるとおり絶対になくなりません。なくならないどころか、ますます拡大していくであろうと。今までの過去六年間の経過を、それから、ソ連軍がかつて、もう随分古い話になりますけれども、ソ連軍の駐留の結果を見ても、これは火を見るよりも明らか。肝心の米軍自体が今、対話路線に切り替えつつあるということは、恐らく撤退もそう遠いことではないのではないかというふうに私は思います。
 以上です。
○井上哲士君 先ほどの質問にかかわってなんですが、現在審議しておりますこの給油支援活動で、日本が給油するのはあくまでもOEF―MIOに限るんだと、OEFとは違うんだということを政府は再三説明をするんですが、それは現地ではなかなか通用しないという先ほどお答えがありました。
 実際上、そのOEFとOEF―MIOというものは現地では区別をされて理解をされているのか、その辺はどういうふうに現地の皆さんはお感じになっているのか、お願いしたいと思います。
○参考人(中村哲君) これは、OEFと同一視されていると思います。この誤解を解くのは容易ではない。実際、油だけではなくていろんな米軍施設が日本の援助で建てられている。ジャララバード市内でも皆知っている。これは米軍施設だけれども日本の援助によって建てられたということは堂々と皆言っている。そういうことを考えますと、これを分けて考えるというのは、日本の中のコップの中の出来事でありまして、普通は皆そう考えないということは知っておくべきかと思います。
○井上哲士君 先ほどイラクとの違いというお話もあったんですが、やはりアフガニスタンでソ連のあの占領をはね返したことにあるように、長期にわたって他国軍が駐留をするということに対する民族としての誇りを傷つけるというんでしょうか、そういうこともあろうかと思うんですが、その辺の外国軍が駐留していることに対する国民的感情はどういうことでしょうか。
○参考人(中村哲君) これはカルザイ政権を含めまして、一〇〇%とは言いませんけれども、ほとんどの人は反米的であるということは私は断言したいと思います。
 ただ、それを口に出すと、反米主義者、彼らは決して反米主義者なんではなくて、外国からやられるのが嫌いなんですね。しかし、それを言うと、アルカイダに通じているだとか反米主義者だとかいう烙印を押されて過激派の味方だということを言われるので、それを恐れて黙っているだけ。内心アフガン人のほとんどはほぼ反米的であります。これは私は、いろんな人と接して実はということから推測できることで、確信を持って申し上げたいと思います。
○井上哲士君 今のこの対テロ戦争というのは、タリバン政権がアルカイダをかくまったということを理由に始まったわけですね。そこで報復戦争が始まり、そしてタリバン自体がもうテロ組織なんだと、テロ団体なんだと、だから悪だという図式でずっと七年間続いてきたわけですね。
 しかしながら、今いろんなお話がありますように、国内においてはタリバンの支配というものがいろいろ復活をし、そして地方の行政などにはもう入ってきているということもあります。それから、様々な形でのタリバンとの和解というものが国内でも進んでおりますし、国際的にもそういう声が上がっております。
 例えば、オマル師もその和解の相手に加えるのかどうかとか、その辺のいろんな議論もあるようなんですが、そうなりますと、そもそもタリバンとは何なのかということがあると思うんですね。どうもここがはっきりしない議論がずっと私は政府の答弁聞いてもあるような気がするんですが、そもそもタリバンとは何であり、今どういう状況であり、そしてその和解の対話というのはどういう形で今進んでいるのか、お教えいただきたいと思います。
○参考人(中村哲君) タリバーンについては、これは随分ややこしい説明が必要になります。タリバーンというのは元々神学生という意味で、正義感に燃えたイスラム教のマドラッサで学ぶ学生たちがカンダハールで悪徳軍閥を殺害して発展した組織ですけれども、実際これを政治的に利用したのはアメリカのCIA、それからパキスタンの諜報機関、それから外国の石油資本、こういうのがタリバーンを支援してできたといういきさつがありますけれども、単にそれだけでタリバーンが国土の九割を占めたとは、速やかに占領できたとは思えない。そこには何らかタリバーンを受け入れる素地があったわけでありまして、タリバーンの基本的な方針というのはパシュトゥーン、主にはパシュトゥーンに共通する、アフガン人に共通するおきてを基にして政治交渉を重ねて国家を統一したといういきさつがありまして、その辺がなかなか理解しにくうございます。
 現在おりますタリバーン、いろんな人がタリバーン名のってやっておりますけれども、どれが旧政権のタリバーンなのか新しく名のってやっているのかよく分からないという現実。それから、決定的に違うのは、こういった土着の国粋主義者とアルカイダと体質が随分違う。実はタリバーンの上層部の過激な意見等を持つ人々は、パンジャーブ、アラブそれからウズベキスタン、タジキスタンの都市中間層、ちょうど日本でいろんな新興宗教が出てきましたように都市中間層からアフガニスタンに流れてくるというのが現実でありまして、国際主義のアルカイダと土着主義のタリバーンとでは随分性質が違うということは知っておいてもいいのではないかと思います。
 ニューヨーク・テロ事件に際しましても、あの中にアフガン人は一人もいなかった。あのアフガン人の戦闘員、あの田舎っぺのおじさんたちがライフルを担いでニューヨークに攻めていくなんということはとても考えられない。コンピューターを駆使し、そして流暢な英語をしゃべり航空機を乗っ取りということは、タリバーンの中核部隊には絶対にできない。
 そういうことを考えますと、私たちはもっとタリバーン、アルカイダ対正義の味方米国という図式をもう一度研究し直す必要があるんじゃないかと、かように思っております。答えになりませんけれども、私はそう思います。
○井上哲士君 タリバン政権が崩壊をし、その後国際的な人道復興支援が行われました。政府答弁などでも、例えばGDPの成長率はこの間年平均一〇%だとか、初等教育の就学率が二割弱から九割弱まで向上したとか、そういういろんな指標が挙げられて、進んでいるんだというお話があるんですね。しかし、そうであるならばもっとカルザイ政権の求心力というのが高まり、タリバンからの離反というのが起こると思うんですが、実際には復活ということになり、今の政権が実効支配できているのは首都とその周辺にとどまると、こういう指摘もあるわけですね。
 これは、力石参考人も、それぞれお聞きしたいんですが、こういうふうに、結局現政権への求心力がむしろ下がっているというこの実態についての理由について、それぞれどうお考えでしょうか。
○理事(浅尾慶一郎君) どなたからお聞きになられますか。
○井上哲士君 じゃ、力石参考人。
○参考人(力石寿郎君) 大変難しいお話ですが、カルザイ政権そのものは、国際社会が協力して、先ほど御説明したボン合意に基づいたプロセスで民主的に誕生した政権でありますから、それを支援した諸国、日本を含めて、これを支えて安定した国家建設の基をつくりたいと願っていたのはどこの国も同じだと思うんです。
   〔理事浅尾慶一郎君退席、委員長着席〕
 しかし他方、国内治安がいつまでも収まらないという状況で、やはり、あと、もちろん麻薬の問題ですとか汚職の問題とかも取りざたされている中で、余りにも長い時間国の中が平定できなかったということで、多くの人たちが今の政権に対して落胆しているのが一つの原因ではないかなというふうには思います。
○参考人(中村哲君) ちょっと質問、もう一度お願いします。
○井上哲士君 いわゆる国際的な支援で経済指標などは上がっていると報告されているんですが、にもかかわらずカルザイ政権への国民的求心力が逆に低下をしているという実態があるわけですが、その理由をどうお考えかと。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 一つは、人々が期待するほどの生活向上がなかったということ、それどころか以前より悪くなったということ。今年の冬は特に五百万人が餓死に直面して、数十万が死ぬであろうと言われている。あのとき、復興支援のときに、復興支援ブームが起きたときに、はっきりカルザイ政権は言った。君らの衣食住は保障するから帰ってこいと言って難民たちを呼び返した、その結末がこれだという失望感。みんなが食えないということですね。それから、カルザイ政権自身が外国の後ろ盾によって成り立っておる政権だということ、この二つが非常に大きな要因として大きな不信感を生んでいるというのが事実だと思います。
 みんなが言っているのは、政府がないということをもう東部でははっきり言っている。米軍が引き揚げると数日で崩れるんじゃないかと私が聞くと、いや、数日じゃない、一分で崩れると言っている。こういった不信感がやはり、民生向上を無視して民生を軍事活動に従属させてきた、そのことの結末が今破綻となって現れていると、こういうふうに理解してほぼ正確ではないかというふうに思います。
 以上です。
○井上哲士君 先ほど力石さんからも麻薬の話がちょっと出たんですが、大飢饉のときも旧タリバン政権のときは非常に厳格で、ほぼケシの栽培は根絶をしたというふうに聞いておるんですが、この間急速に伸びてきているわけですね。
 よくこの間のケシ栽培の増加とタリバンと結び付けて論じられるんですが、かつては厳しく規制したということが言われ、そこをどう考えたらいいかなというのが私ちょっとよく分からないんですが、今のこのケシ栽培の急増ということと、それからタリバンなどとの関係も含めて、それぞれからまたお願いしたいと思います。
○参考人(力石寿郎君) ケシの問題はかなり深刻に推移していまして、今世界の九三%のケシがアフガニスタンで栽培されていると言われております。
 これが、旧タリバン政権時代にはほとんどなかったものが急速にそれだけのものになったという背景には、やはり反政府武装勢力の人たちの資金源ということになるからだというふうに思います。また、それを買う外国がそれだけいる、お客さんがですね、という関係で成り立っているものだと思いますので、これを根絶させるためにイギリスなんかが中心になって現地でいろんな計画を作ってやってきましたけれども、どんどん事態は悪化するばかりということで、今非常にケシの問題というのは一つ頭が痛い、開発を進める上でも一つの大きな障害になっているというふうに理解をしております。
○参考人(中村哲君) ケシの問題については、私はずっと代々の政権を見てきましたけれども、空爆以後、米軍の占領下で急速に広がったという事実、これはどうしようもない。これはいろんな説がありますけれども、先ほどJICAの方がおっしゃられたとおりで、一番根底にあるのは、みんなが食えない、小麦を作るよりはケシを作った方が百倍収入が多いというのでやむを得ず作るというケースが私は多いと思います。
 これにはいろいろありますけれども、政府の要人の親族が麻薬王であるといううわさも飛び交っておる。麻薬マフィアの跳梁。カルザイ政権が、余りにケシだケシだと言うのでついに怒りまして、使う方も悪いんじゃないかと。禁煙運動をあれだけやっているなら、ケシの絶滅をどうして使う方はやらないんだと言うのも一理あるわけでありまして、私はケシ問題については、これは貧困の絶滅以外にケシをなくす方法はないと思います。
   〔委員長退席、理事浅尾慶一郎君着席〕
 実際に私たちの新しいかんがい地域、だれも、あんなもの作って、やばいもの作って食っていこうと喜んで作る人はないわけで、自給自足できるならそっちがいいわけで、実際、私たちのかんがい地におきましてはケシを作っている農家は一軒もありません。だから、農村を豊かにすること、これ以外に根本的な方法はないというふうに私は思っております。
○井上哲士君 衆議院の質疑の際に、自民党の方の質疑の中でペシャワール会の話が出たんですけれども、一つは、元々アフガンというのは砂漠の国なのに、砂漠の国の干ばつというのは一体何なんだかよく分からないと、こういう質問が自民党議員から出ました。これ中村参考人、いかがでしょうか。
○参考人(中村哲君) これは、想像だけで物を言ってほしくない、実際に現地を視察して見ていただきたいと思います。かつて、十数年前豊かな穀倉地帯であった地域が軒並み砂漠化していくという事態、これは実際に私の目の前で起きておるわけでありまして、現地の人に聞いていただきたい。
 アフガニスタン全体はオアシス農業でありまして、カレーズと呼ばれる地下水を利用したり、あるいは大河川から流れてくる用水路を引いて、元々砂漠だった地域を人工的に造って耕作地にしたオアシス農業なんですね。ところが、それを養う水が年々かれてきて砂漠化してきたという実態がある。それが半端なものではない。現在、ヘラート、それからカーブルでの盆地地域の地下水の下降というのは半端なものではない。また、川の水、カーブル川、クナール川の川の水の低下というのは壊滅的な打撃をこのオアシス農業に与えると。
 乾燥地に干ばつというのはどういうことなんだというのは、私のように一生懸命してきた人間についてはナンセンス。これは実情を見て、そこで困っている農民の実情を聞いてから論議していただきたい。既に数百万人の人たちが生活する空間を失っている。そのことを十分見極めずに、勝手な漫画のような議論をしないでくれと私は言いたいわけであります。
 以上であります。
○井上哲士君 実は、同じ人物が更にこう言っているんですね。同じ先生が言われています。ペシャワール会は千五百の井戸を掘った。では、なぜ伊藤さんが殺されたのでしょうか。これは、二〇〇三年九月に大統領から深掘りの禁止令というのが出ているんです、井戸を掘っちゃいけないと。なぜ掘っちゃいけないかといえば、深い井戸を掘ると浅い井戸の水が枯渇する、そして自然水路と言われるカレーズがうまくいかなくなってしまう、だからむやみに井戸を掘っちゃいけないんですと。ダムを造れば水をつくっていいじゃないかと言うと、下流で農業をしておる人が困ると、こういう発言をされておられますが、これについてはどうお考えでしょうか。
○参考人(中村哲君) それはある程度本当ですね。私たちも、地下水によるかんがいというのはこれは余りに影響が多いということで基本的にしないという方針で、大河川からの取水あるいは雨水の地表水をためるため池の無数の造成によって水を確保するという方針に切り替えました。
 先ほどの話にちょっと戻らざるを得ないですけれども、乾燥地での干ばつはどうなんだという意見も、これはかつてアフガニスタンは一〇〇%に近い自給率を誇っておった農業立国であるということを知らずに、ただ乾燥地だから乾いてもどうってことないんじゃないかというのについては私は怒りを感じる、私はそう思いますね。数百万の人がそのために難民化している、そのために傭兵化して治安がますます乱れているというときに何てことを言うんだというふうに私は言いたいと思います。つまり、食料自給率が半分に落ちたということは、あの自給自足の国で半分の人が食えなくなったということなんであります。
 地下水についてはそういうことでありまして、地下水利用というのは限界でありまして、私は、政府が出した深掘りの井戸の禁止あるいはダムの禁止というのはある程度うなずけるものがあると思います。
 以上です。
○井上哲士君 ちょっと先ほどの質問にも返るんですが、経済成長が毎年一〇%というふうに言われながら八五%が従事をする農業が非常に深刻な実態があるということが、今お話がありました。
 要するに、農業の自給を高めていく、農業で人々が暮らしていけるようにするというのが一番ポイントだとお聞きをして思うんですが、ここはこういうふうに立ち遅れたままむしろ大変な事態が進んでいるということは、どこに一体問題があるのか。国際支援なども改善するべきところがあるんじゃないかと思うんですが、これもそれぞれからお願いをしたいと思います。
○参考人(中村哲君) これも私たちが初めから言っていることの繰り返しですけれども、現地に合った支援というのをもう少し調査してほしかった。これは先ほど民主党の方が御質問されたとおりでありますけれども、そんなに慌てなくていいから、現地にとって本当に何が大切なのかというのをもう少しじっくり見て決めてほしかったということがあります。
 みんなが食えないときに、あなたたちがこんな惨めな姿になったのも教育がないばかりになったのよと言わんばかりに鉛筆を配っていく。学校が悪いと言っているんじゃないですよ、教育が悪いと言っているんじゃないですよ。しかし、学校へ行くにも、子供が生きてなきゃ行けないじゃないですか。そういう現実を無視して上澄みの部分だけが突出して行われた。放送、道路、これは必要なものであります。しかし、それ以前にみんな生きていかなくちゃいけないということがどこか忘れられていた、このことが問題なんじゃないかというふうに思います。さらに、それを戦争で解決しようとすることによって、食えなくなった人たちが米軍の傭兵あるいは反政府勢力の傭兵として大量に流れていくという悪循環をつくってしまった。これがアフガン復興の現在の破綻の姿であろうと私は思います。
 以上です。
○参考人(力石寿郎君) 中村さんがおっしゃるとおり、アフガニスタンというのは本来豊かな農業国であったわけでありますので、私どもも農業分野については力を入れております。
 何をやっているかというと、今すぐ即効性のあるものはなかなかできないんでありますけれども、残されている農業試験場を少し手を入れて、それでアフガニスタンの農業普及員、研究員を育てる。それはどういうことかというと、今のアフガニスタンの土壌に合った、しかも収穫量の多い作物は何がいいのかというような選定ですとか、あるいは品種の改良、ジャララバードにおきましてはかんがい稲作の指導をやってその技術の普及というようなことを地味ではありますけれども続けております。
 これは、確かに中村さんのおっしゃるように、いったん避難民として国外に行ってしまってその土地が荒れてしまって、それでまた帰ってきたときはもう砂漠化しているとか、農地に適用できないとかということがかなりあちこちで起こっているのかなと思いますけれども、日本としてできるのは、やはり現地に合った、ニーズに合った農業とは何かというその同定をいたしまして、現地に張り付いて日本の技術専門家が、農業専門家が、日々相手側の職員、スタッフを教育訓練して、それをもって更に地方の方に出かけていって農業普及をやっていくと、こういう地道な積み重ね以外にないのかなと思います。即効性のある解決策というのは恐らくないんじゃないかなと思っております。
○井上哲士君 時間ですので終わります。
 本当にありがとうございました。
○山内徳信君 本日は、参考人の皆さん方には、長時間になりまして大変お疲れのところでございますが、私の持ち時間、二十八分でございます。どうぞ最後まで、皆さん方のお話を私たちは今後に生かしていきたいという思いで勉強させていただきたいと思います。
 私は、社民党・護憲連合の山内徳信であります。特に遠方から、この参議院の外交防衛委員会の参考人として、本当にお忙しい中を、飛行機を、国連機を乗り継いで来られたということを伺っておりまして、心から感謝を申し上げたいと思います。
   〔理事浅尾慶一郎君退席、委員長着席〕
 沖縄県は、去る太平洋戦争の末期、日本国唯一の日米両軍による地上戦の死闘が繰り広げられた県であります。私は少年でございましたが、戦争の理不尽さと戦場の地獄を体験をした者の一人であります。したがいまして、中村さんのあの現地のお話、あの大干ばつ、あの子供たち、そして緑豊かな地域がしばらくすると砂漠化しておる、そして水路を開いていく、井戸を掘っていく、そういうお話を伺っておりますと、私は戦後三か所ぐらいの収容所に収容されていました。学校へ行かずに、夜になると、午前二時ごろ、小学校五年生でしたが、鉄条網の中から逃げて食料を探しに出かけていくんです。そして昼、米軍の基地の近く、陣地の近くまで行って、埋められた缶詰など、あるいはちり捨て場へ行って食えるのを集めて、また夜夜中、収容所にこっそり潜っていくと、そういう体験をした少年の日が思い起こされてなりません。
 さて、沖縄県は、アジア太平洋地域の平和の構築を目指して沖縄平和賞を制定いたしました。平成十四年八月三十日、中村哲さんはペシャワール会の現地代表として初の沖縄平和賞に輝かれました。改めてこの場をお借りいたしまして心からお喜びを申し上げます。現地における筆舌に尽くし得ない御苦労に心から敬意を表し、今後の御奮闘を祈念申し上げ、以下数点についてお伺いしたいと存じます。
 第一点目は、なぜテロが発生するのか、テロの発生要因の根源的な論議を私は公式の場で聞いたことがありません。真にテロをなくしていくために何が必要か、日本政府として何に力を入れるべきか、現地の生の声をお聞きしたいと思います。これが第一点であります。よろしくお願いいたします。
○参考人(中村哲君) なぜテロが発生するか、これはいろんな考え方、見方があると思いますけれども、そもそもテロというのは何なのか。我々、赤穂四十七士を、飛躍するようでありますけれども、あれは明らかにテロリスト、これをテロリストと呼ぶ人は日本人の中にいないと思います。明治維新の志士たちをテロリストと呼ぶ人はいないと思います。
 元々テロというのは、話が抽象的になりますけれども、弱い人が強い人に向かって用いる最終手段であります。窮鼠かえって猫をかむ、それがテロというものではないかと思います。
 我々、テロリズム、テロリズムと言いますけれども、赤穂浪士をテロリストと呼ぶのも嫌だし、西郷隆盛をテロリストと言うのも嫌なんですね。それを考えますと、テロは、テロリズムはいいとは言いませんけれども、弱い者が追い詰められたときに使う最終手段。現に浅沼書記長がテロリストにやられたけれども、あれはちょっと違いますけれども、それを考えますと、弱い者を追い詰めないということじゃないかと思います。
 具体的には、アフガニスタンにおきましては貧困の退治。みんなが食えない状態、食えないとみんな悲壮になって、フランス革命もロシア革命も、食えない、追い詰められた状態で爆発的に発生した。今アフガニスタンはまさにその状態でありまして、フランス革命前夜に近い。私が訴えたいのは、こういった状態をまず解消して、まともに人が食えるようにしてほしいと、こういうことであります。これがテロをなくす一番の要因であります。
 孫子の兵法にありますけれども、敵を決して追い詰めちゃいけない、逃げ道をつくって圧迫しなくちゃいけないという点から見ても、今の米軍の戦略はこれは大失脚。やはりこれは貧困の撲滅、これが中心に据えられないと、ある程度の武力行使というのはやむを得ないにしても、それを中心に据えないと永遠にテロはなくならないと私は思っております。
 以上でございます。これは大きなテーマですので、話せば長くなるので御勘弁願います。
○山内徳信君 二点目は、日本政府は対テロ戦争の一環として新テロ特措法を延長し、引き続きインド洋上でアメリカ等多国籍の軍艦に無償給油を続けるため、法案の一部改正の提案がされ、今参議院外交防衛委員会で審議中であります。
 アフガン戦争やイラク戦争を目の当たりにされている中村哲さんは、日本政府のやっておるインド洋における自衛艦による無償の燃料給油活動が国益であり、テロをなくするための国際貢献であると政府は強調されておりますが、中村さんの御見解を承りたいと思います。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 これは今まで述べてきたとおりでありまして、決して建設的なことにはならない。国のおきてまで破って戦争に協力するのかと言われても仕方がない。これは戦争ではないと言っても、だれも納得しないでしょう。日中戦争が満州事変だと言ったって、あれは事変であって戦争ではないと日本政府は当時言ってた。しかし、今ごろそんなこと言ったって、だれも信用しない。OEFが戦争ではないと言っても、これは対テロ戦争なんて自分から言っている。しかも報復戦争だということをアメリカが自分から言っている。それに協力すること自体が私は日本の戦後のおきてを破るものだというふうに思います。
 簡単に憲法改正だのをそのためにするというのは本末転倒でありまして、戦争というのはそんなお花畑のようなものじゃない。現在の日本国憲法というのは、そういった私たちの御先祖様の血と汗によってできた一つの記念塔であります。それを簡単に漫画のような議論で変えちゃいけないと、私はそう思いますね。
 これはやっぱり日本は日本としての使命がある。ちょっと目先の、先ほども言いましたけれども、目先の経済的利益だとか、あるいは政治的な利害だとかいうことで決めることではない。恐らくこの対テロ法案をめぐって、日本というのは決定的な分岐路に立っておるというふうに私は思っております。
 私はあと二十年も三十年も生きませんけれども、自分の子供たちのことを心配する。そのときに責任が取れるのかと私は問いたいわけであります。単に憲法違反だとか九条がどうのこうのだとか解釈だとかよく分かりません。しかし、戦争は戦争だ、人殺しは人殺しだ。民法で言えば、アメリカが殺人者とすれば日本は殺人幇助罪に相当すると、私はかように思っております。
 以上でございます。
○山内徳信君 三点目は、先般発生しました不幸な悲しい出来事について質問をさせていただきます。
 ペシャワール会の現地スタッフの一員でありました伊藤和也さんが何者かに拉致され殺害されるという痛ましい事件が起こりました。伊藤和也さんの捜索のために険しい山岳地帯を多くのアフガンの人々が頑張っている姿がテレビを通して私も知ることができました。伊藤和也さんが現地の人々から信頼されている、そのことが手に取るように分かりました。
 伊藤和也さんの事件を通して、私はそのテレビを見て新聞を読んだ後、このことを私はどのように解釈すればいいのかということを一人考えてみました。これは日本政府に対する警告ではなかろうかというふうに思いました。アメリカによるアフガン戦争やイラク戦争を後方から支援し、追従している日本政府に対する警告だと私は感じました。
 そこまで、同じ日本人で同じ国会議員でありながら、なぜ私がそこまで気付くかといいますと、それは先ほど、テロは追い詰められた弱い人々が支配をしておる者に対する一つの抵抗であるという趣旨のお話がございました。沖縄県は、広島、長崎、東京大空襲を含めていっぱい戦争の犠牲を被ってきましたが、とりわけ半年近い戦場になって、アメリカのジャーナリストによると、世界の戦争史上かつてない地獄の凄惨な姿が沖縄戦であったというふうに本国に打電をしております。そういう中を生きて、しかも二十七年間、アメリカ軍の直接統治下にあって無権利の状態でした。既に憲法ができて人権が保障され、主権在民が、平和が唱えられておるときに、独り沖縄は二十七年間無権利の状態を生きてきた。
 私が感じたのは、伊藤さんの犠牲というのは、それは日本政府と日本国民にある種の警告を発しておるんだと、こういうふうに受け止めたわけでございます。伊藤さんについては既に前の方々からの質問でお答えもいただいておりますが、改めてこの場で、私の警告という受け止め方について、現地で必死に頑張ってこられた、あるいは中村さんのメンバーであった伊藤さんの犠牲を無にしてはいけないという思いでの質問でございます。よろしく御見解を賜りたいと思います。
○参考人(中村哲君) お答えします。
 伊藤和也君のことについては余り話したくないです。
 一つは、先ほどセキュリティーという面で、国が守る、しなくちゃいけないこと、それから個人でしなくちゃいけないこと、これは両面あると言いましたけれども、私たちとしてもこれを教訓にして生かしたいというふうに思っております。
 私たちは、この伊藤和也君の死と同時に思い出すのは、これは日本側と現地側と温度差がややありまして、過去五名現地で私たちの事業のために殉職者を出しております。伊藤君が六人目であります。そのうち三人は、アフガン戦争中、すなわちソ連軍の戦争中に死亡しました。一人は、看護師でしたが、山の中の診療所を造りに行って、川の中に転落して死亡しました。一人は、井戸を掘っている最中に転落して死亡しました。現地では六人目ということになりますけれども、私は、これは、語弊がありますけれども、人間が生きて生まれてくるその尊さというのは世界中同じであろうというふうに思います。ということを考えますと、語弊はありますけれども、伊藤君の死を特別視はしたくないというのはどこか自分の中にあります。
 しかし、それを政治的に利用するというのは、これは許されない。貴重な犠牲を出したから、日本も戦争に、対テロ戦争に協力しなきゃなんてことを聞くと、これは私は血圧が上がる思いがする。
 だから、私たちは、この伊藤君について言うならば、人間の生死、それから親の気持ち、これは世界中同じであると。これは頭で分かっても、なかなか身近で考えにくいんですね。しかし、そうはいっても、現地の人たちと身近にあった私にとりましては六人目の殉職者でありまして、その人たちの死を無駄にしてはいけない。そのためにこそ、これで我々はしっぽ巻いて逃げるということはない。むしろ活動を強化いたしまして、一層力を尽くしたいというふうに思っております。
 以上でございます。
○山内徳信君 ありがとうございます。
 私は、踏んでいる者は踏まれている者の痛みを知らない、この言葉を沖縄にいてよく使ってまいりました。今、民主主義だとかきれいなことを言って外国の軍隊がアフガンやあるいはイラクに入ってきたわけです。ところが、状況は御承知のとおり、ベトナムと同じように泥沼化をしておるような状況だと思っております。
 私は、きれいな言葉じゃなくして、それぞれの国、それぞれの地域を中心とした自治というものを育てていく。経済的には、中村さんがおっしゃるように、食っていけるような、生活できるような農業環境を整備をしていく。そういうふうにして、宗教も環境も違う中にあって、そこにふさわしい自治というのが最も望ましいんだろうと思います。
 二十七年間の沖縄の異民族統治から学んだ県民の教訓は、自治に勝る統治はない、自治に勝る民主主義はないというのが沖縄県民の声でございました。したがって、任命主席を押し付けられた県民は、自ら選挙で主席を選ぶ、自ら県知事を選ぶんだといって自治の獲得に立ち上がって、人権を守り抜くためには平和憲法の下に復帰する以外にないと、こういうふうに壮大な復帰闘争が始まるわけであります。
 中村さんにお伺いいたします。アメリカ政府による、あるいはアメリカ軍によるアフガン、イラクの民主化の可能性についてお伺いしたいと思います。
○参考人(中村哲君) 自治による民主化ということですけれども、私たちが想像するような中央集権国家というのは、アフガニスタンでは将来的にも生まれようがないと思います。アフガニスタンは初めから自治の国であり、各民族、部族が寄り合って、それぞれの生活スタイルを守りながら、多少争いはありましてもそれなりにまとまってきた。そのことは、そのことが絶対いいとは言いませんけれども、それはそれで責めるべきものではないのではないかと。
 世界中何でもかんでも、いわゆるデモクラシーと称して中央集権国家をつくることがいいとは私は思っておりません。むしろヨーロッパの方が進んでおりまして、地方自治、これは経済的にもロスが少ないんですね。そういうことを考えますと、アフガニスタンはアフガニスタンの形があっていいんじゃないかと。それは彼ら自身が決めることなんじゃないか。外国軍が行って、このデモクラシーじゃ駄目なんだと、そのデモクラシーの中身は、もちろん民主主義という中身は我々と考えているものは違うでしょうけれども、私は、そういう押し付けはしてはいけない。基本的にその地域のことは地域のことで守るべきだというふうに私は思っています。
 将来的にも、アフガニスタンが現在我々が想像するような中央集権の国民国家ができる見通しは、あってもまだまだ先だと思えますというふうに私は思います。
 以上でございます。
○山内徳信君 ありがとうございました。
 これをもって終わります。
○委員長(北澤俊美君) 参考人に対する質疑はこの程度にとどめます。
 この際、一言御礼を申し上げます。
 参考人のお二方には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べをいただきまして誠にありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時一分散会