2010憲法講演会 沖縄 アピール

 

 沖縄に憲法を
ー憲法の理念に反する「新基地」をわたしたちは拒否します


   今日、日本国憲法は63回目の誕生日を迎えました。憲法が生まれた当時は、戦争が終わってからまた2年足らずで、沖縄戦の傷跡は県内各地に深<残っていました。戦争で亡<なった親、子、きょうたい、友人たちのことを思い起こし、このような世の中には二度としませんと誓ったのが、この憲法です。
 ところが沖縄では、戦後も米軍が占領を継続し、私たちの土地も返されることなく、戦時さながらに戦闘機が飛び、戦車が道路を駆け巡り続けました。
 沖縄住民は、平和のうちに生きるために、島ぐるみで抵抗してきました。平和憲法のある日本に復帰すれば、子孫の代まで苦しむことはよもやあるまいと思いました。
 そして38年前、沖縄は日本に復帰し、やっと日本国憲法が適用されるようになりました。しかし沖縄では、復帰後も相変わらず、戦闘機が畑に突っ込み、ヘリコプターが大学に落ち、米軍基地による苦しみを受け続けてきました。
 米軍は、私たちに被害をもたらしたたけではな<、朝鮮戦争から現在進行中のアフガン戦争やイラク戦争まで、沖縄を出撃基地にして、世界中で多くの人を殺し、傷つけてきました。
 今、日本は、第2次世界大戦の責任や反省など全<忘れたかのように、一方的にイラクを攻撃した米軍を支援し、自衛隊まで派遣しました。気がつけぱ、平和をうたった憲法を変えようとする法律一改憲手続法(国民投票法)までができているではありませんか。名誉をかけて理想を達成しようという誓いをして戦後に再出発した日本国民の思いは、変わってしまったのでしようか?
 いいえ、憲法を守り、活かす思いは健在です。「九条を守れ」の声は広がり、沖縄でも平和の運動が世代を超えて受け継がれてきています。私たちは、4月25日の県民大会でも、世界で最も危険な普天間基地は要らないという願いを力強く発信しました。
 そして今日、私たちは、沖縄から派遣された米軍がイラクで何をしたかを学びました。理不尽に人々が殺され、傷つけられるのを、遥か彼方のひとごととして黙って見過ごすわけにはいきません。声を上げ続けていくのが、米軍基地を抱える私たち沖縄の住民の責務です。日本国憲法がこれまで培ってきたものは、人類の大きな平和構想です。私たちは、新しい米軍基地の建設を拒否し、ここ沖縄の地から、日本国憲法を活かして平和を創り出す不断の努力を続けることを誓います。

    2010年5月3日

2010憲法講演会 沖縄 アピール